「AI」が中心にある社会って…

 「AI」に相談するのは楽しいけれど

今や、「AI」にいろいろな相談ができますよね。

愚痴も聞いてくれれば、今後の生き方だって相談できます。

人間よりも相談しやすいと思うこともあるくらいです。

でもふと思うことがあって、それは約束を守れない両親との暮らしで感じたのですが、「ルールを守れない」って「AI」は理解できるのでしょうか。

つまり人間同士の付き合いで最も大切なことって、互いに歩み寄り、現実にできることで悩みもトラブルも克服できました。

一方で、「AI」にビジネスの悩みや相談をしても、本当にいろんな視点から提案してくれたりして、なくてはならない存在だと感じます。

ですが、誰かの「AI」とこみちが使う「AI」が、膨大なデータを介して通じ合えたとしても、その誰かとこみちが上手く関われるかは疑問です。

なぜって、こみちは相談した「AI」の言葉だけを聞き、その方もきっと「AI」を信じていると思うからです。

つまり、まだ数年は大丈夫だとしても、誰もが「AI」だけを信じて行動するようになったら、それこそみんなの中にある「社会」が今とは別ものになってしまい、今なら互いに歩み寄りよれたことも、その頃には「こうでなければならない」と言う感じに変化していないでしょうか。

例えば、買い物をして所持金が1円足りないとして、店の人がまけてくれたり、次回でいいよと言ってくれたりする解決策も、人同士だからできることで、これを「AI」が代わりに行ってくれるのでしょうか。

ダメならダメと言う判断になり、意外と融通のきかない社会になってしまわないか気になりました。

「どうすれば物は売れるのか?」

そんな相談をして、とても優れた返答だったとしても、本当はそれ以外にも方法はあるはずなのに、段々と「AI」の答えだけが唯一になってしまうのではと思うのです。

「正解」と言う安心感が、逆に人間らしさも狭めてしまわないかと言うことです。