母親の考え方
父親同様に母親もナルシストな考え方をします。
ここで言うナルシストとは、他人から学ぶことをせず、自分の経験から判断する性格の人を指します。
つまり、先日玄関前で転倒した父親に母親が出した結論が、「また転ぶかもしれないから」と何か家事をすることに制限を掛けました。
と言うよりも父親は3ヶ月前と比較して、できることが減っていますし、歩いたりすることを伴う作業が不安定です。
でもそうなった理由もはっきりしていて、その一つが「したりしなかったり」を安易に容認したことで、元々義務を果たすような努力を苦手としている父親に改善させる手間を惜しんだからです。
しかし、ナルシストの気質を持つ父親には、自分基準がとても明確で、他人が呆れてしまったとしても自分が思い込んだらそれを通してしまうほど、周囲の空気を読みません。
「ごめん、今回はちょっと…」
誰にも体調が悪い時や、気分でできない時はあるものです。
だからこそ、周囲の気持ちも察して、できないことへの言い訳もするのです。
でも父親の場合、周囲が呆れるほど当たり前に自分が思う通りに進めるので、結果的に人間関係を壊したり、心底優しい人でもない限り付き合い続けることができません。
与えられることには慣れても、与えると言う発想がないからです。
それを理解しての介護を考えると、今までしていたことを安易に制限すると、元々できることが限られているので、最後は起きて寝るだけの活動になります。
そうならないために、運動習慣や学習習慣、仕事や家事などを取り入れることが老人介護では欠かせないのですが、正に進むべき方向が真逆です。
周囲で「それはダメだよ」と言っても聞かないのがナルシストの人たち。
面倒な家事を煩わしく感じるのも分かりますが、家族が全てしてしまうと老いを加速させるのです。
とは言え、この議論も両親に届くはずもなく、父親は楽こそ望みで長生きこそ生き甲斐です。
父親は、家族で誰よりも健康食品を利用しています。
長生きしたいとも言います。
でも運動や家事をすることには抵抗があり、楽で自由で幸せを求めています。
しかも家族が苦労していても、介護で疲れても、自分の幸せが手に入るなら特に虚しさは感じません。
だからこそ、支える家族は自分自身のことも考えながら介護をしないと、ボロボロになってももう大丈夫だと父親から言い出すことはあり得ません。
そして、母親もナルシストなので、安易に父親の望みを叶えてそれを優しさとか愛情と思い込んでいますが、母親自身も段々と家事が不完全で、見えないところでのフォローも増えています。
つまり、母親が父親を甘やかすのは生き方ですが、母親自身も父親の代理にはなっていないので、結局は優しいことは言っても、最終的にはこみちや妻に仕事を振るのです。
派手な考え方などしなくてもいいので、先ずはそれぞれの役割を確実に果たしたいのがこみちの思いで、こみちから見ると母親の言動は派手でしかありません。
「結局、最後は誰がするの?」
どうして安易に父親に言ってしまうのでしょうか。
昨日もデイサービスを休んで、その時間ずっとテレビの前で居眠りしていただけでした。
寝るなとも言わないのですが、体調不良でもなく休んだので、だったら一緒に部屋の掃除をしようと言って、父親の活動量を上げるような声掛けをして欲しいのです。
でも母親は何が必要で何を守るべきかを理解しません。
「転ぶからしなくていいよ」
転ぶなら動かないければいい。
母親の思考はいつも同じです。
それで上手くいかないから前もっていろいろと言っているのに、何一つ守ることなく全部自分んk考えだけで押し切って、できなくなると逃げて人任せにするのです。
昨晩、こみちが食べるご飯を事前にレンチンしていました。
多分したのは母親で、温めておけばすぐに食べられるだろうと言う優しさです。
でも、家族で決めた予定時間は午後8時ですが、両親は段取りが悪くて8時30分くらいまで夕飯にかかりました。
それでこみちたちも待ちくたびれて、部屋で寝落ちしていたんです。
ハッと起きたらもう9時。
そして温められたであろうご飯。
熱くも冷たくもない感じの。
分かるでしょうか。
ちょっとした母親なりの優しさが生活の中でこんな風に入り込むんです。
でも食べる時は結局再加熱するのですが、食べない時は冷蔵庫にそのまま入れるのも躊躇う温度。
「しましたよ」
と言うナルシストの行動で、その後の選択肢が制限されたり、余計に手間になったり。
何かしてもらうと面倒になりつつも、何もしないでと言っても言うことを聞きません。
先日もピーマンが何袋もあって、ようやく食べてホッとしたら、翌日も買い物でまたピーマンを買って来る。
「もうピーマンいいよ!」
「栄養あるんだよ!」
連日、食卓に並んでいたことを覚えていません。
もう両親のことを深く考えても、どうにもならないんだからと思うのですが、次の日になるとストレスが蓄積するほどのことを繰り返してくれます。
浴室のスリッパが出しっぱなし。
ゴミ袋がセットされていない。
洗面所は使いっぱで濡れたまま。
「ちゃんとしてね」ではもう難しく、決して几帳面でもないこみちでさえ気づくほど、中途半端なことが多いんです。
本当に母親は無敵で、それに付き合わされる家族は疲弊します。