久しぶりにパスタを夕飯に作ったのですが

 昨晩のパスタ

パスタを作って、3時間後に食べるはちょっとあり得ません。

いつもは、午後6時に完成しても、こみちたちが食べるのは8時とか8時半、9時近くになっています。

と言うのも、両親が食べるのは7時だったのですが、その頃に風呂に入って髪を乾かすなどしてから食べるようになり、8時近くということも。

その後も後片付けにも手間取るので、実際に明け渡されるのは8時半近くです。

なので、パスタを湯がいて数時間後に食べることになるので、普段は食べられないメニューです。

ですが、昨晩は午後6時過ぎに完成させて、一階のダイニングではなく、自室まで運んですぐに食べました。

久しぶりに食べられたのはよかったのですが、食べて洗い物を済ませて午後9時近くに歯磨きをするために入りて行くと、テーブルにはパスタが一皿、ラップも掛かっていないまま放置されていました。

つまり、両親用に作ったパスタ2皿の内、1つを残したということです。

単純に食べたくなかったということもあるのですが、事前に母親が買っているサンドイッチなども冷蔵庫に残っていて、特に父親の食生活がバナナやりんご、お菓子やジュースなどになっています。

高齢者の場合、足腰が弱るのは筋力の低下が原因ですが、咀嚼力もまた口のまわりの筋力が影響するので、加齢で刻み食やペースト食に移行されるのはあるのですが、それをどれだけ遅らせるかも大切なことです。

なので、パスタは食べなくてもいいですが、食べやすいものだけを選んでしまうのも注意しなければいけません。

両親の場合、結局は何を言われても自分が思うことしかできないので、表面的なことだけで判断してしまいます。

食事を作るにしても、より美味しくという配慮は段々と不用になって、いつも通りでいいのかもしれません。

ですが、ここで母親の考えがあって「飽きない食事」に対する思いが強く、あれこれとバリエーション望みます。

この両親でも相反する考えもあって、食事作りも無駄が増えてしまいます。

作っても食べない。食べないから、お菓子やジュースをいろいろと買い与えてしまう。

思うように活かしてくれないもどかしさもありますが、老化は配慮の深さも浅くなりますが、状況をくみ取る視野も狭くなるので、準備しても活かしてくれないことも増えてしまいます。

結局、至れり尽くせりまで用意しても、その中から1つ、2つつまむような感じで、残りを片すしかないこみちにすれば、やはり定番を用意するようになってしまいます。

時間も使って手間も掛けて、活かされないし、その有り難さにも気づいてもらえない。

介護の寂しい部分です。

活かされないから省いてしまうと、テレビの前で丸まっている父親とそれを心配して買い与え続ける母親になってしまいます。