もうできないのだろう
両親が老いたからなのか、元々のズボラさなのか、物をそこら中に放置してしまう癖を直してくれません。
以前にも「1ミリも譲ってくれない」と嘆いたことがありますが、でも家中をキレイにして欲しいと願っている訳ではなくて、共有部分に私物を放置しないように伝えているだけです。
しかも、ダイニングテーブルの真ん中に使って放置されたコップがあると、後で使うつもりかもしれませんが、テーブルを使う時に一瞬でも悩みます。
以前はそっと片付けてもいましたが、最近は隅に寄せたりすることが増えましたが、「邪魔なら移動してもいい」ではなく、「自分で始末して欲しい」のです。
しかも、冷蔵庫にしまった煮物皿が、置き方が悪くて棚に汁が垂れています。
ラップが下手で、隙間から漏れたようですが、そうなって来ると片付けしてもらうと余計に汚すことになります。
「それも難しいの?」
そうなってしまうと、ありとあらゆることをお願いできません。
実は気になっていること
最近、多くの認知機能低下が見られる高齢者の特徴でもある、入浴を父親が拒みます。
体が思うように動かないことも一因だと思いますが、そこで問題になるのか「本当に体を洗えているのか?」と言うこと。
入浴は、清潔保持に欠かせないので、あまり日を空けすぎると皮膚疾患や感染症などのリスクも高まります。
また、悪臭は意外と本人が気づき難いものなので、毎日とは言わなくても2日や3日に1回は入って欲しいと思います。
今、やっと入浴しに父親が一人で浴室に入りましたが、最近、入浴直後でも頭が臭いんです。
気のせいかもしれないし、数日ぶりで臭いが取れないのかもしれません。
物を放置してしまう行為そのものだけを心配しているのではなく、アドバイスしたりしてもその後の生活に活かせていないことが多いのです。
それは父親以上に母親にも現れていて、同じ話を何度もくりかしてしまうことがとても増えました。
しかも片付けできないので、大切な書類や鍵などをなくしてしまうことも多く、常に心配がなくなることはありません。
今日は何合食べるかな?
夕方に米を研ぐのですが、例えば6合炊いてしまった時に、母親父親と二人で弁当を買って来たりします。
なので、大量に余って、無理無理にご飯中心で食事することがあります。
そうなると5合とか、4合半に減らすのですが、そんな日に限って二人で白米をたくさん食べていたりもします。
母親は出掛ける前に冷蔵庫や炊飯器を何度も開け閉めしているのですが、今となっては開け閉めが習慣になっていて、外出時に何を買って来るべきかがもう覚えてられません。
それで、たくさん余っている時に弁当だったり、少なくしているのにさらに食べてしまうとか、どうしたいのか、どうしなければいけないのか、状況判断ができなくなっているようです。
「放置しないで」
と言葉ではそうなんですが、「その行動で合っている?」と言うことでもあるのです。
弁当を食洗機で洗い、そのまま中に放置させます。
中を掃除しないので、せめて取り出して欲しいし、そもそも弁当などは中に入れなくてもいいと伝えています。
でも、今も中に入ったままでしたし、朝の食器もそのまま放置されています。
昼にも帰宅したら、それを片すかもしれませんが、誰かが使えばまた全部濡れてしまうので、ある程度で先に進めないといつもでも片付きません。
老いているから分からななくなってしまったのか、昔からそれだけのんびりしていたのか、もう分かりませんが、両親の行動はほとんどが完結していません。
だから、近くにいると、それだけでストレスを感じるようになりました。
特に老いてできなくなった場合、できなくなったことを理解できないケースが多く、老いてもそれを受け入れられない傾向があります。
気になることはたくさんあっても、それらを根本的に解決できないままなので、それがどうしても受け入れられないとストレスが増します。