久しぶりに父親から声を掛けて来て
「おい、こみち!?」
料理をしていたら、父親が側に立っていました。
瞬間的に胸が苦しいとか目が回るとか、何か異変でもあったのかと心配して振り返ります。
「何?」
すると父親はナスを数本抱えるようにして持っていて、「コレも使っていいんだぞ」と話ます。
「今日は使わないから元の場所に置いておいて」
そうは答えましたが、父親も段々と「まだら」になってしまった気がします。
その時の表情がとても印象的で、やはり老いが進んでいると感じました。
そもそも、ナスは決められた場所に置いてあるものです。
何故にわざわざ伝えようと思ったのかも理解できなかったのですが、昔から父親の行動パターンとして、「少しだけ関わる」と言う特徴があって、自身の不安や後ろめたさを解消したい時にその行動が現れます。
言ってしまえば、心理学的な意味でのナルシストっぽい行為で、「誰かを助けたい」と言う行動も根っこは「自身の満足」があるからです。
最近の父親は風呂に数日入っていません。
「風呂に入る」ことが父親には大仕事で、朝夕の食事を作ることと同じ大変さだと思っているようです。
別に比べてどうかと言うことではなく、「今日は風呂に入った」と自分で頑張ったと思っているのです。
洗濯も掃除も母親任せで、母親は父親の分も補っているとボヤきます。
でも家族共通の家事は、母親もほとんどしないので、少し何か始めたい時は片付けからしなければいけません。
昨日、水筒に使うパッキンを母親が漂白していたのですが、それを浸す容器として妻の茶碗を使っていました。
脇に自分の茶碗があるのに、何故にそう他人の物で始めてしまうのか理解できないのですが、母親には差がないようです。
「サイズが同じだからわからなかった」
母親に苦情を伝えても、謝ることはなくて、何故そうなったのかを説明するばかりです。
昔から頭を下げることが嫌だと言う母親ですが、そのデメリットを理解して続けるなら文句もありませんが、やるだけやって知らん顔では人が離れても仕方ないでしょう。
だからこそ、「失敗した」時は謝ることも大切ですが、それを言い訳だけで乗り切ろうとするので、性格的にこみちとは合いません。
「助けてくれなくて結構!」
それくらいの気持ちでいてくれたら、「どうぞご自由に!」で何も言わないのですが、困ると泣きついて来るのに全く謝ってはくれない所がストレスです。
父親と母親を同時に見ると、何倍も疲れます。
ストレスを上手く発散しなければいけないことは分かっていますが、「何これ?」と思ってしまうことがあり過ぎます。