全てが対等に見えてしまう!?
老いてから母親は全く料理をしなくなり、代わりに出来合いのおかずや弁当、惣菜パンなどを買って、それを父親と昼に食べます。
そして、一日中何もしない父親は、ここの所意欲が低下し、例えばテレビを見つめてエアコンのリモコンを操作してしまうほどです。
日常的な刺激が少なく脳の萎縮が進んでいるのかもしれませんが、一方では興奮を抑える薬の効果で意欲減退が見られます。
家の中で暴れてしまうくらいなら、何もせずにじっとして欲しいという母親の意向もあって、主治医と相談した結果です。
一方で、母親は根っからの天然気質で、その原因は「ナルシスト」特有の自分基準でしか考えられないことの現れでしょう。
みんなである話題で盛り上がっていても、急に別の話を始めるというような場違いな言動が日常生活の至るところで見受けられます。
そして、昨日、いつも通り母親が弁当を二つ買って来ました。
惣菜パンも二つ。他にも父親が食べそうな物を買って来て、それを並べて父親に選ばせるような方法で昼食が始まります。
当然ですが、選ばれない物もあって、でも翌日にはまた同じように母親は買い物をします。
母親にとって買い物をすることが「当たり前」なっているからです。
そして、残った物をどうするのかというと、こみちたちに「食べろ」というのです。
昨晩、こみちはいつものように晩御飯を作りました。
別の物も食べたくなるだろうから、それ以外に食べたい物を買って来ればいいという話だったのに、段々と母親も同じように夕飯として買い物をし、昨日は用意したおかずと一緒に弁当も並べてありました。
賞味期限は当日。
妻と食卓について、「どうする?」という話になったのです。
こみちとしては、押し付けられたことを無理して処理しても、相手はナルシストの二人なので、「ありがとう」にはなりません。
むしろ、買って来たことに「ありがとう」と言われたいくらいの気持ちでしょう。
弁当の件ばかりではなく、いろんなことでそんな尻拭いばかりしているので、こみちとしてはもう頑張って辻褄合わせをする気力が持てません。
しかし妻の意見は勿体無いから弁当を食べるというものでした。
結局、残った弁当を妻が食べて、母親に「美味しかった」と報告するのです。
演技の「ナルシスト」とは違い、本物の「ナルシスト」は、本当に他人の想いが汲み取れません。
確かに「大丈夫?」とか優しい言葉を掛けてくれることもありますが、それも「自分だったら」という基準から出た言葉に代わりないのです。
つまり、弁当を買って、それをこみちたちに押し付けて、代わりにこみちが作ったおかずを普通に食べてしまうえるのは、こみちとしては理解できません。
「残り物を食べてもらう」後ろめたいことも、母親や父親には「お弁当を奢ってあげた」というくらいに理解されていて、だからこそ用意した夕飯を当たり前のように食べています。
こみちも、自分は心が狭いなぁとも思うのですが、いろんな場面で自由奔放な両親を見て、その尻拭いばかりしていると段々と嫌な人間になってしまうのです。
実際、もう心が両親に対して閉ざされてしまい、二人に会うまでは優しい気持ちでいても、二人の雰囲気を感じただけで心が閉じてしまいます。
今は優しい言葉でさえ、それが親の目線で発せられたと瞬時に思って、他人を労わる気持ちではないことを感じてしまうのです。
何を言われても、こみちの気分は低下するしかありません。
父親だけでも面倒に思うのに、母親が一日中家にいると何してもバッティングするので、一気に面倒さが倍増します。
洗面所を使いながら、キッチンやダイニングテーブルも使っているという状況が起こり、何かしたくても何かでぶつかります。
「使っていいよ」
というスタンスの両親は、途中になったままのものを共同でしたがります。
コップを一つ洗いたいだけなのに、両親が使った一回分の食器丸々洗うようなことになるのです。
それが本当に面倒で、できるなら関わりたくありません。