美味しい料理の匂い
例えば、ニンニクの匂いが鉄板からしていたら、思わずいい感じに焼けた肉を想像するでしょう。
また、コーヒーの香りも昼下がりのひと時をもてなしてくれます。
匂いや香りと言う、鼻腔から感じられる経験が、心地よい時間を与えてくれると言う紹介ですが、実は全く異なるものでも同じようなことが言えます。
それが、「気」なのですが、難しい話をしたい訳ではなくて、例えば「笑顔」の人と「顰めっ面」の人がいたら、どちらの人に話し掛けますか。
どうしてもその人でなければいけないのでなければ、怒っている人にわざわざ関わりあいたいとは思いません。
つまり、結論を言えば「幸せになりたいなぁ」と思うなら「笑顔」で生きることです。
でも生きていれば嫌なこともありますし、避けられない時もあります。
愚痴を言いたくなったり、その相手を恨んだりしたくなるかもしれません。
感情としてはよく分かるのですが、自分が幸せになりたいなら、そんな足を引っ張られるいろんなことをどれだけサラッと流せるかも重要です。
嫌な気分でその日を過ごしても、気分を変えて楽しく生きても、1日は1日なので、その時の気分で選びましょう。
こみちは老いている両親と同居しています。
今朝も両親の食べる朝食を作り置きしました。
時間を割いて作っても、食べずに冷蔵庫に入れられて、夕方くらいにゴミ箱に捨てられていることもあります。
「折角作ったのに…」とは思いますが、作るまでが作業でその後はもう考えないようにしています。
両親にしても、食べるものがアレもコレもあることが幸せで、食べ切れずに捨てることになるのも贅沢なことです。
今はスーパーに行けばいろんな惣菜を買えるので、家で料理をしなくても食べることに困りはしません。
近所でも食材を届けてくれるサービスを利用している家庭も多く、いろんな業者のトラックを見かけます。
こみち家でもそんなサービスを利用していいんじゃないかと話していました。
しかし、母親は値段が高いと渋って、肉や魚など中心的な食材はこみちが買って、それ以外に食べたいものは母親が自分で選ぶのですが、値段を気にしている割に両親だけの食費はかなり嵩んでいる気がします。
と言うのも、料理ができない父親のために直ぐに食べられるオカズを幾つも買って来ますが、値段を気にして消費期限が当日までだったりで、コロッケに煮物、白和えとたくさんあっても食べきれません。
しかも朝と夕飯はこみちが作るので、こみちの作ったオカズは捨ててしまうことになります。
これを「折角買うなら消費期限くらい」と言ってしまうと不幸しか待っていません。
捨てるということを防止するためにも当たり前と思いがちですが、その当たり前を貫くことが不幸になるのです。
これは、「自分の方が正しい」という考えたにも通じます。
正しいか間違いかが問題ではなく、幸せになるには問題が起きても深く考え過ぎないことです。
「仕方ない」で終わらせるくらいで丁度いいくらいです。
例えば、消費期限が迫った食材があって、「食べられない」を強調するよりも、「保存方法はないか?」と頼しめるテーマに変えることで、幸せな状況に変えることもできます。
とは言え、こみちがエンパスで両親はナルシスト。
両親は強依存体質で、常に自分の基準でしか考えられません。
エンパスなこみちがあれこれと気を配っても、自分にとって良いことは良いし、悪いことは気に入りません。
考え方を切り替えないと幸せになれないという話も、ナルシストには難しいことです。
だから、時にはそんなナルシストの気を排除して、幸せ満喫しなければ、いつまでも幸せにはなれません。
全員で幸せになれれば良いのですが、それがもう不可能だと思えたなら、接し方や距離、対処の仕方を変えて、自分は自分の幸せのために生きるのも悪いことではないでしょう。
憎んでそうなる話ではなく、幸せになるために笑顔で頑張ろうと伝えても、「じゃあ幸せにしてよ」と言う考え方をしがちです。
「お金はたくさんないけど、手の込んだ料理をみんなで食べたら幸せでしょう?」
例えばそんな幸せを提案しても、「お金は必要」と言い出して、「不幸」を持ち出してしまいます。
これではいつになっても不幸から抜け出せません。
仮にお金がたくさんあっても、少し塩っぱいとか薄いとかケチはいくらでもつけられますから。
欠点を口にするのも悪いことではありせんが、ただ後ろ向きの否定になってしまうと不幸です。
自分から不幸に進んで、不幸だと悩むのは愚かなので、せめて幸せになりたいけどなかなかなれないと悩みたいものです。
笑顔ですよ。
幸せになりたいなら!