都合悪いと丸まる父親、訳が分からずウロウロする母親
気持ちを切り替えて、遅くなりましたがキッチンへと行きました。
全く何もされていないので、炊飯器のお釜も洗ってはくれません。
湯を沸かして麦茶を作り、お釜を洗い米を研いで明日の用意。
そこから食器を片付けてようやく料理になるのですが、冷蔵庫にはピーマンとキュウリがもう買ってあります。
キャベツがまだ2玉あって、ジャガイモも2袋。
玉ねぎは少し腐り始めていたので、積極的に消費します。
とは言え、まだ昨日の冷やご飯が残っていて、でも昼はやはり弁当を食べているみたいです。
まともに処理していたら、食べ切れないのも事実ですし、使えば使っただけ急いで買って来る母親なのです。
「もう買い物はしなくてもいいから!」
理由を何度も告げていますが、なぜかそれを止めることができません。
むしろ、母親としては、いろんな食材があることに豊かさを感じているところもあります。
でももう全く料理をしませんし、少なくなっているミリンやサラダ油は全く買って来る様子もありません。
不足分を確認して買い物していると言うよりも、主婦として「買い物」していたいという感じなのでしょう。
昨日、やっと消化できたキュウリなのに、もう今日には5本も買っています。
漬け物類もたくさんあるので、浅漬けなどで消費も出来ず、少しずつサラダに使ったり、冷やし中華で使ったり、やっと使い切ったのですが。
事情を話しても、もう理解できないというか、翌日には記憶が曖昧になるみたいで、母親が思うようにしか行動できません。
出来合いのオカズもまだ冷蔵庫に入っているので、今日使った料理もほとんど手をつけないでしょう。
なのに、「無いと困る!」という母親。
用意されているからこそ、追加であれこれと買ってしまうみたいです。
これでは食費を抑えるために作っている意味がありません。
無駄なのに何も変えられないんです。
しかも今から風呂に入るらしく、食事は8時になってしまうかも。
その後にこみちたちで、さらに後片付けもするので、一段落つく頃は10時近くになってしまうでしょうか。
そして3時過ぎには起きるという生活。
たまに6時くらいに起きて来て、でも起きて来てもそれはそれで邪魔だったりで、何とも複雑な気持ちです。
あと数年だと思いますが、本当に介護が始まった感じです。