ナルシストの父親と母親
ここでいうナルシストとは、心理学的な意味で、「価値基準が自分にしか無い」タイプの人を指しています。
例えば、自分は全く興味がないことで、でも誰かがとても熱心に思っているような時に、特徴的な行動が見られます。
それが無関心です。
「楽しそうだね」とか「どう楽しいの?」と言葉が出ることではなく、相手の興味に寄り添う意識があるかがポイントなのですが、ナルシストはそれが特に苦手です。
ナルシストな父親は、都合の悪いことがあると寝たふりをしたり、体が痛いからできないと言い出したり、逃げるためにはどんな手でも使います。
例えば、自分が逃げた時に、代わりに誰かがその面倒を被るとしても、父親は特にそれで行動をやめたりしません。
つまり、「嫌だな」という価値基準が全てなので、父親は誰がその後に困ろうとも関係ないのです。
一方で、母親はそんな父親に寄り添うフライングモンキーで、価値基準が自分にしか無いのは同じですが、違いはナルシストである父親を守ることを価値としています。
父親が逃げるために、母親は使命感を持って頑張るのです。
「可哀想でしょ?」と。
でも母親も父親の代わりをするのかというと、守ることが価値であるだけで、負担が他の人になっても気にしません。
こみちが苦労してもそれは価値基準外なので、母親は無関心です。
買い物を頼んでもそれを買って来ないで、勝手に別の物に変わるのも、母親としては良かれと思っての自己判断です。
ですが、他人の気持ちを理解できないので、買って来て欲しいと思っている商品を買ってあげようとはならず、自分が買いたいなら買うという基準になります。
徘徊してしまう高齢者の心理に近くて、「早く会社に行かないと」「家で家族が待っている」と、そんな気持ちに満ちてしまい外へ出てしまうのに似ています。
「何かしなければ」というのは、母親の優しさでもあります。
ただ、段々と優しさが自己判断に偏りが出て、「こうしないと」というワンパターンになって、家族が嫌なことでも繰り返します。
そうなるとやめさせることがとても困難で、注意してもお願いしても、数日後には忘れてまた同じことを始めます。
他人がどう思うのかよりも、自分がどう考えるかだけで行動するので、今以上にボケてくると頼んだ買い物ができないどころか、何をし始めるか分からないので、父親以上に大変になりそうです。