優しさに貪欲でもっともっとを求める体質

 今日は暑いので冷やし中華を作ったわけですが…

いつもの時間になって、晩御飯を作るためにキッチンへと向かいました。

キッチンから見えるリビングには父親が寝転んでいて、テレビのチャンネルを変えながら退屈そうです。

流石にエアコンを使っているのは助かりますが、ナルシストな父親なので、スイッチをつけたり消したりを繰り返しています。

設定温度や風量、風向を調節することができないのか、ちょうど吹き出し口からの風が当たる父親なので余計にスイッチイジってしまいます。

キッチンに立っていると、火を使うので汗もかきます。

「大変だろう?」

そんな感情は父親にはありません。

そして、遅れて帰宅した母親もリビングに現れて、「表は暑かった」と父親に言います。

ですが、こみちがキッチンで火を使っていても、全く気にならないのは変わりません。

期待していませんし、変に手を出されても面倒なので、仕方がないことになっています。

数日前、両親用に作ったパスタを残し、少ない冷やご飯を温めて食べていた両親。

昨日豚バラを使った野菜炒めとお稲荷さんでしたが、好物のお稲荷さんはたくさん食べていました。

「美味しかったよ」「いつもありがとう」

両親からはそんな言葉はありません。

家族だから当たり前。

助けられたことに対して、いつもそう思っている感じです。

汗だくになって冷やし中華を作っても、やはり二人の考えは全く変化無しです。

一般的に、世の中はギブアンドテイクなので、何かを求めるなら何自分にできるかを考えなければいけません。

しかし、今の両親は特に、自分たちの私用とみんなに関係することが同じ感覚で扱われているので、父親は自分が風呂に入ったことを義務を果たしたつもりになり、母親は買い物することが義務になっているのです。

野菜室に、きゅうりが10本。

ここ連日、増えています。

そしてジャガイモに玉ねぎなどなど。

「買って来なくてもいい」

母親の負担を考えてアドバイスしているのではなく、家族4人では捌き切れないくらいの量を次々に買ってしまうのです。

優しさはもう伝わらず、伝わったとしてもそっと感謝する程度。

受け身でされることを望む気持ちに変わりがありません。

50対50を望んでいるのではなく、ギブアンドテイクを目指したかったのですが、父親も母親も基本的にナルシスト気質なので、自分基準でしか行動できません。

甘い菓子パンをこみちに買って来る母親には、「お菓子」的なものが優しさなのでしょう。

湯煎して食べるとうもろこしを冷蔵庫に入れて満足するのも、父親がそれをレンチンすると思うからです。

とうもろこしはもう数ヶ月、食品棚に置いてあって、それと同じものをこみちが提供した時に、父親は美味しくないと言いました。

だからこそ、そのままになっているのを知っていても、買い続ける母親のためにも提供しないで放置して来ました。

かと言って、母親は冷蔵庫に移動しても、レンチンして父親に提供することはしません。

多分、父親は一人にならない限り、自分から動くことはしません。

そして母親は、助けられることに当たり前を感じ、感謝することが出来ません。

「人様にはありがとうって言うよ。家族だから」

母親はそんな風に言いますが、「ありがとう」って家族と他人でそんな区別されるものではなくて、嬉しいから「ありがとう」と伝えたくなるもの。

でも母親には、マナーや礼儀のようなもので、だからこそ、ありがとうともごめんなさいとも言いません。

なのに、買い物だけは続ける母親。

そこには変な彼女なりの基準があるようです。

冷蔵庫を漁るように何度も開け閉めしていますが、常々お願いしている朝食用のカット野菜は2日も買って来ません。

今朝も、ウインナーに目玉焼き、きゅうりのスライスにトマト、ブロッコリーを人数分作りました。

それをすると、母親はますますカット野菜を買って来なくなります。

理由はどうにかしてくれると思うからです。

なので、惨めだろうと手を差し出すと、もうそれが当たり前になってしまうのが両親です。

欲しがる癖がどこまでも抜けないので、搾取されている感覚だけが残ります。