そもそも役に立てない父親の存在

 昼間もリビングで怒っていたようですが…

1日中テレビの前でゴロゴロして、その態度を母親に指摘されて、「こっちは体が痛いんだぞ!」と怒ってしまう父親です。

めまいがするとか、膝が痛いとか、現時点の状況で判断すると父親の疾患からそうだろうなと思うことはあります。

ですが、なぜそうなったのかと言うと、基本的に自己責任の話で、特に糖尿病に関することはもう十数年前からいろんなタイミングで助言されて来ました。

特に膝に掛かる負担を減らすには、体重を増やさないことが大切ですが、運動はしないし、日中も好きだけオヤツがあって、その結果、足が痛いと言われても、「そりゃそうでしょうね」としか言ってあげられません。

例えば、こみちだって、頭が痛いとかあります。

でも朝夕の食事を作るのは義務だと思っていて、それは帰宅する妻の心配を減らす目的も含まれます。

疲れて帰宅したのに、家でケンカしていたら楽しくありませんよね。

こみちとしては、心配させない気持ちと、両親の理解に苦しむ言動の狭間で揺れて、できるだけ料理を作ります。

今晩の予定は、野菜炒めと餃子、お稲荷さんとジャガイモと玉ねぎの味噌汁でした。

しかし、キッチンに行って気持ちが変わり、野菜炒めの食材を減らし、5分で作った一品だけで自室に戻ってしまいました。

理由は帰宅した母親が寝転んでいた父親に買い物したものを冷蔵庫に入れて欲しいと頼み、また出掛けてしまった結果です。

楽しくテレビ鑑賞していた父親が舌打ちをして、その態度母親もササっと出掛けしまいます。

そして、大きなため息をついて父親がしたのは、買い物袋ごと蓋つきのゴミ箱の上に置くことでした。

料理中もそのゴミ箱を使うのは誰もが知っていて、買い物袋をそこに置くことがどれだけ作業の邪魔になるかも分かります。

何より父親はまだその関係を察することはできるので、自分がした行動によって結果が上手く行かないことを何度も繰り返し知るしかありません。

「この行動がダメ」をナルシスト気質の父親が理解するのは容易ではありません。

特に、自分のためではなく、家族のために買い物したものを冷蔵庫に入れるのはナルシストが苦手とすることだからです。

では母親ができるのかと言うと、案外そうでもなくて、昨日もラップした皿を数枚重ねたりして、一番下の料理は潰れてしまっていました。

そうするしか収納方法がなかったのかと言うとそんなことはありません。

でも母親は自分で洗わない時に限って、油で汚れた食器を重ねたりして、洗う人の手間を増やします。

「そこで重ねるのって意味ある?」

大昔にはそんなことも質問しましたが、母親の行動は父親に似ていつも自分基準で思った通りです。

それで上手く行くこともありますが、ミスになると繰り返してしまいます。

多分、父親は「アレ、料理が止まっている」と思っているでしょう。

だからと言って、買い物袋が邪魔になったことを自分で解決することはできないでしょう。

母親は父親の状況を理解しないで、「冷蔵庫に入れて」と頼むのですが、ある意味で段々とそれさえも父親には難しくなっています。

冷蔵と冷凍の区別も曖昧ですし、野菜と肉、魚をどこにしまえばいいのかもそもそも覚えていないからです。

結局、父親は老化も含めて何か頼まれたことを滞りなく完結させられません。

それを理解している母親さえも、「頼めば側にいる誰かがフォローする」と思っているのです。

父親と母親と暮らして、もう笑えなくなってしまった背景には、依存体質が段々と面倒に感じるからです。

頑張っている雰囲気を出す割に、やっていることはいつも中途半端なので、まともに付き合っていると全部をフォローしないといけません。