最近の話
父親も母親も、いわゆる「ナルシスト」と言う特性です。
価値観が常に自分基準にあって、したい事はしますが、他者から言われたことはしません。
する時は、したい事になった時だけです。
朝夕の食事
こみちは昔から料理を作ることが苦ではありません。
誰かのためなら、自分が食事を終えていてもキッチンに立てる方です。
だから、億劫になっている母親に代わってキッチンに立つのですが、いやいやしている訳ではありません。
例えば、唐揚げを作るとしても、この調理方法が美味しそうだと思えば、事前に手順を調べて確認し、食べてもらった感想をよく聞きます。
美味しいと言ってもらえたら、今後のレパートリーに加えているので、ますます料理が楽しく思えます。
ですが、いつもの時間にキッチンへ向かうと、そこには父親の姿があります。
母親から頼まれた父親の好きな作業があって、父親は母親に「上手にできるね」と褒めて欲しいのです。
だからそうなると、時間守ることよりも「できた」と言う事実が優先され、作業をやめようとしません。
両親の夕飯が6時から始まるので、仕込みや片付けを含めると、4時半にはキッチンで作業したいと思うのです。
ですが、その時間を過ぎた今も父親は作業を続け、一緒にいる母親も何も言いません。
5時過ぎに様子を見に行きますが、時間が短くなった分、献立を変更し、時短でできる物にします。
あれとこれとと考えていましたが、仕方ありません。
キャベツの外側の葉を剥く作業
これは昨日の話。
キッチンに行けば、キャベツがシンクの調理台に置いてありました。
その意味では、今朝は大根があって、多分、そのまま置きっぱなしでしょう。
キャベツの外側の葉を剥くと生ごみが出ます。
それを母親が事前に処理してくれたと言う事ですが、作業をし終えてこみちが見える場所に置いてあるのは褒めて欲しい母親のアピールです。
「凄いね。ありがとう!」
そんな言葉を期待しているのですが、キャベツの葉を剥いて、それをまとめて置くことが作業的にどれだけ大変なのかと言う意味で、普段はこみちも当たり前にこなしながら料理をしています。
逆にそれを母親に褒めたとして嬉しいでしょうか。
数枚を剥いて置く作業がどれだけ助かる話か。
逆にシンクに置きっぱなしにされて、それを片す方が面倒なくらいです。
使う時はまた表面の葉を気にするので、使う前から剥いてもあまり意味がありません。
でも、母親はナルシスト。
彼女の価値観があって、それを基準に物事が進みます。
つまり、「したい事」だけがあって「してもらう事」は見えません。
「料理を作ってもらう」と言うことも、「料理したがっているから…」と言う感覚に近く、だから父親が夢中で作業していると、その作業と料理の優先順位がつかないのです。
時間が来るまで、ウキウキして待っている訳ではなくて、こみちもこみちで個人的にしたいことを調整し時間を合わせています。
だから、作業スペースが空いていなければ、何もしないで待つことは時間がもったいないと感じて、別の作業を始めたりします。
予定が変更されることになったのも今回だけではありません。
もう何度も繰り返されていますが、両親は自分基準の考えをやめられません。
準備していて、それができなくなったら、モチベーションは下がりますし、とりあえずと言うやっつけ仕事ではやり気も起きません。