なぜ「幸福」になれないのか?を考える

 「理屈」はどれも同じ

例えば、お店で100円の商品が販売されていたとしよう。

そこには原材料費や加工品、人件費などが含まれて、さらに儲けが設定されている。

多くの場合、足し算で考えると100円では収まらなくて、個人店のような店舗ではどう頑張っても120円が限界だったりする。

差額20円をどうやって埋めるのか。

その方法は販売テクニックで、例えば赤字覚悟で100円とし、数量限定のセール品として販売する。

そうすると、客が来店し、別の商品も購入してくれることで、最終的には黒字になるのだ。

小規模な経験では、その方法が限定的になるので、大手の販売方法に追随できないことも多い。

どうすれば、小規模でも大手に立ち向かえるのか。

その答えもある。

付加価値や差別化に知恵を絞ることだ。

ここで言いたいのはパターンで、既に多くのことがもう既にパターン化されている。

つまり、直面したトラブルは、未知の出来事ではなく、どこかに似たような話があって、それがどんな経緯で結論を迎えたのかも既に分かっていることだ。

それを知る手段が、AIの活用になるだろう。

言い換えれば、「この場合のパターンはどんな結末になるか?」と質問してしまえば、AIは正しい答えを提示してくれる。

でも、質問の方法を変えて、「この場合に、こんなパターンの結論にはできないか?」と聞けば、「足りないもの」を教えてくれる。

つまり、パターンそのものを変えることはできないかもしれないが、パターンに入るまでの準備を変えることはできる。

もしもその理屈に気づけば、なぜ「幸福」ではないのかが分かるはずだ。

幸福になれないパターンに乗っかっているからと気付けば、そこから幸福に近づくパターンに乗り換えればいい。

最近思うのは、不幸になるほどの大金持ちが幸せではないこと。

そして、肉体を失ってからでもできることを今はしないことだ。

明日のために、今日をダラダラ過ごすのはアリ。

でも今日も明日もダラダラ過ごすのはナシ。

ずっと不幸だけの生活もナシ。

未来がきっと幸せだから、そのための今はアリ。

そう思えるパターンを探そう。

自分でパターンを作ることではない。