70年の人生と100年の人生
若い世代から見れば、70歳と100歳の差を想像するよりも、どちらも「高齢者」と思えてしまうだろう。
こみちがまだ学生の頃、40代でさえ想像できなかったし、その頃にどんなことを楽しみに生きているのかも考えられなかった。
個人的に、「明日に希望しなくなったら」その人の人生が終わりに近づいていると思う。
逆を言えば、「明日に希望があるから」まだまだ生きて行こうと思える。
と言うことは、平凡で、毎日が穏やかな暮らしは、何の不安も感じないだろう。
でも本当は「天国」のような安らぎを手にする頃になると、人生は終焉に近いことを意味する。
例えば、年金が月に30万円あって、経済的な心配がない老後だったら、それだけで幸せだろうか。
都内の有料老人ホームに入ろうと思えば、月額25万円くらいは準備したいし、多少の余裕を考えると月額30万円は多いと言う金額ではない。
しかも夫婦二人となれば、その金額も倍になるから、よほど現役時代に稼いで残しておかないと、都内の有料老人ホームに夫婦で入るのは諦めた方がいい。
実際、夫婦で入所しても、どちらかが段々と認知症になって、あるタイミングで配偶者の顔を見ても全く興味を示さないことも介護士として知っている。
それだけを知ると悲しい気もするが、老いるとはそうなってしまうことで、もっと言えば高額な老人ホームで幸せになれるかどうかは「金額」で決まるものではない。
一食1000円のランチを夫婦で楽しく食べられるのと、1万円しても咀嚼が上手く出来ずに、しかも相手の顔を見てもよく分からず、傍らの介護士の方が親しみやすいと思うようになるのとでは、幸せを比べることもできないだろう。
例えば、高級時計が80万円で、それを手に入れたくて仕事を頑張れたなら、それは無駄ではないし、人生を有意義に使っていると思う。
80万円が200万円に変わったとしても、金額の高い安いではなく、手に入れた喜びや達成感があるから、非難されることではない。
ただ、手に入れてまた別の物を目標にしても、段々と物欲って失われてしまう。
手元に置くだけで終わる物欲では、そう長く頑張れない。
つまり、手に入れた後にどんな自分に変われるか。
それがあれば、さらに意欲に繋がる。
興味を持つ、楽しいと思えることが、どんなに生きる上で大切になるだろう。
結局、そこに重きを置いていないと、老いた時に何も変化のない暮らししかなくなってしまう。
毎日、同じ繰り返しになると、曜日も季節も段々とどうでも良くなって、それこそ1日長く生きられることにも意味が失われてしまう。
「孫が成人になるまでは頑張って健康でいよう」
そんな風に思って、その時まで散歩を欠かさないような気持ちが持てないと、人は簡単に老けてしまう。