「在宅介護」は「淡々と繰り返す」しかない!

 蓋つきゴミ箱の上に

母親は、特に理由もなくその辺に物を置きます。

こみち的には、その行動を「マーキング」の意味もあると考えていて、つまりは無意識に自分の心地よい空間を作ることで、安心感などを得たいのでしょう。

なので、玄関に置く。洗面所に置く。ダイニングテーブルの真ん中に置く。窓枠の平らな面に置く。

それこそ、わずかな平らな場所なら物を置きます。

「マーキング」なので、邪魔にならない場所には置きません。

以前から不思議な行動だったのですが、行動を何度も観察していて、こみちなりに行き着いた結論が「マーキング」行為でした。

今日も帰宅して、キッチンでこみちが料理をしていても、キッチン用のゴミ箱の上に物をポンと置いて立ち去ってしまいます。

それからしばらく(30分以上)は、蓋を開けるにはそれらの物を別の場所に移動させて、捨てたらまた元に戻すという流れになります。

食洗機の中も洗い終えた食器がそのまま。

ダイニングテーブルの上には両親のコースターが置きっぱなし。

何か始める時に、片付けからしなければいけないくて、場合によっては母親の目の前で食器棚に戻しても、「自分たちのフォロー」をされているという認識はありません。

結局、母親たちにできるのは、目の前に起こったことを自分の判断で処理することなのです。

今も、夕飯を作り終えて自室に戻ってこの文章を書いているのですが、キッチンからは水道を使う音が聞こえていて、結局は自分の思うようにまた散らかします。

漬け物か何かを切りたいのだと思うのですが、拭いて片付けた包丁を持ち出し、使ったら食洗機の中に放置します。

最終的に洗えるという認識なのですが、晩御飯で使った食器も片付けることがないので、包丁もそのまま放置されます。

不思議なことに母親なりのこだわりが失われなくて、でも最後はやりっぱなしになるので、いじられる度に片付けるの繰り返しです。

しかも、片付けてもらっている認識が全くないので、それこそため息をついても、怒っても、両親にはもうその感情は届きません。

「何でココに置くの?」

その問い掛けさえも、今はもう意味がないのです。

なぜなら、「え?」という感じで、その後に答えることもなく、時には「何それ? 嗚呼〜」と記憶から一度抜け落ちていたりもします。