老いる親を受け止める覚悟をしたくても…

 何も守れない両親

ふと洗面所に行って浴室を覗いたら、風呂場用の長靴が床の隅に並べてありました。

窓を開け閉めする時に、ササっと履けるから長靴が置いてあります。

しかし、長靴を片付ける場所があって、朝はそこに置いていました。

というか、毎晩、片付けているからなのですが…。

親との同居は本当に些細なすれ違いがストレスです。

使う時だけ使い、終わったら片付ける。

それさえできれば、家中のいろんなものが出しっぱなしにはなりません。

キッチンにコップが1つ。

冷蔵庫には空になったペットボトルが入っている。

本当に不思議なんですが、両親二人ともそれができてしまう性格なんです。

実は数日前、あまりにも受け入れ難くて、感情的に怒ったことがありました。

でも、恐怖心を抱かせてしまうと、潜在意識の中に溜め込んでしまうので、面と向かって怒ることはできるだけ控えていて、反省もしました。

例えば、自分たちが食べたおかずが二口三口残ったままで、テーブルに起きっぱなしだったことがあって、それを毎回作るこみちとしては食べてくれたという喜びもありますが、一方で、その態度はないだろうとも思うのです。

してもらうことに慣れて、されないことに不満を持つ。

要求ばかり増えてしまう性格なので、簡単には「受け止める」とは宣言できません。

それでも、これまで微かでもお願いしていたことができていたらと思って様子を見ていたこと全てを諦めて、こみち自身が片付けるようになって、もちろん片付けられていることは理解していると思いますが、それは「感謝」ではなく、されたことを「容認」くらいの感覚みたいです。

つまり、できないことを代行してくれて「ありがとう」と思うのではなく、「すぐに使うけれど、片付けたいならそこは譲ってあげる」という認識なので、「ありがとう」とは口にしません。

空になった瓶がそのまま放置されていても、「次の機会にすればいい」と思う両親は数日くらいは平気で放置してしまいます。

床にゴミが落ちていても気にしない。

でも、換気にはこだわるから窓は開けたがる。

花粉症で鼻がムズムズしがちなこみちは、「ん?」と違和感を覚えると、家の至る所が開いています。

今さら、「花粉症だから」と伝えてもそれが窓の開閉を訴えているとは繋がりません。

「花粉症だから窓は開けないで!」と言っても、明日にはまた同じ行動に戻ります。

認知症というと記憶力の低下を連想しますが、高齢者の認知機能の低下は「記憶力」というよりも「関係性の理解」が衰えてしまうようです。

「使ったらすぐに洗う」と伝えても、「それが何の話」なのかを忘れてしまうので、コップを置きっぱなしにした時に「洗う」という行動には結びつきません。

思いついたとしても、億劫さが勝ってしまい、「小言さえ我慢すれば」という気持ちになるようです。

父親に関しては、三度の食事とたまに風呂に入ることが唯一できることで、あとは寝るかテレビを観ているかしかありません。

運動を兼ねて散歩もしていましたが、それさえも億劫になって、通院の時に玄関前の車まで歩くのがいい所です。

一方で、母親の老化はかなり心配していて、父親よりもまだまだ活動的ですが、買い物などで「コレを買って来て」とメモして渡せば買えるのですが、「三日おきにカット野菜を買って来て」というお願いは守れません。

一対になったお願いは覚えていますが、「雨だったら」とか、「何時になったら」とか、条件によって行動が変化するようなお願いは守れません。

一応、まだ母親は仕事をしていて、日中に家を空けることがあります。

その時間にこみちもいろいろと家事をしているのですが、最近は出掛けたと思ってもすぐに戻って来たり、いつもなら空いているキッチン周辺で何かし始めて、夕方になってもそこに放置してしまうことが増えました。

「何時になるとこみちが料理で使う」という見当識が薄くなって、「まだ大丈夫だろう」と待たせていることに全く言われないと気づきません。

「まだ時間掛かる?」と尋ねた時に、「何で?」と返事されて、心の中で「なるほど」と思いました。

「夕方にキッチンを使っている」がすっぽりと抜けています。

「料理してくれてありがとう」はもちろんなくて、急かされたことに「もう少しで終わるから待っていてくれたらいいのに」という気持ちなのかもしれません。

母親の部屋もあるので、そこですれば誰の迷惑にもならないと思うのですが、「ココでしたい」は譲れないようです。

例えば、両親の昼食は、ザックリと午前11時から午後2時くらいまで。

その間、ずっと食事している訳ではありませんが、用意をして食事して、片付けが済むまでとなると、それ位の時間が掛かります。

料理をしている訳ではないので、調理時間が長いということでもなく、何に時間が掛かるのかよく分かりません。

冷蔵庫を開け閉めする音が、2階にもバタンバタンと聞こえます。

1時間以上経過して、ふと降りた時に、両親がまだ食事をしていないということもあったりで、時間の流れ方が本当に違います。

こみち家の同居生活は、まるで車と子ども用の三輪車で移動するみたいな感覚です。

どちらが速いか、便利かではなく、それぞれのペースで本来はいい話。

でも期限や時間が限られているので、時に急ぎたいこともある。

そんな時は三輪車を車に乗せて、運んでしまう方法があって、それが親との同居生活に似ている。

でも、三輪車を奪われた方は、感謝ではなく我慢をしていて、乗せられたことに不満がない訳でもない。

だから、支える覚悟をするだけではダメで、両親が両親らしく生きることにどこまで時間的に、手順的に待っていられるかだと思う。

開け放たれた窓から吹き込んだ雨や埃を拭いたとしても、なぜそうしているかをもう母親は受け止め方が変わらないので、したい時にはまた開けていることでしょう。

何でそこに?

それの繰り返し。

両親は、自身で親の介護をしたことがないので高齢者の介護を経験していません。

中高年の方々は、三日でも介護施設で研修したらと思います。

高い知識や技術を使って、介護士よりも稼ぐ仕事をされる人もいるでしょう。

でも、老いるのはみんな同じで、どんなに言ってもいつかは誰かに面倒を見てもらう時が来ます。

サービス代として「お金を出せば…」という考え方もありますが、高い安いで介護士は働いている訳ではありません。

もしもこみちにも介護士経験がなかったら、両親との同居は今以上にできていないと思います。

夕方、キッチンに行った時に、昼食で使った食器が放置されていないことを願います。

追記

ゆうがた、シンクの中に父親のコップがそのまま置いてありました。

母親のものはテーブルの上。

なので、父親のコップも母親の隣に並べておきました。

今日は、焼きそばとお稲荷さんの予定でしたが、何だかやる気が失せて、焼きそばだけにしました。

それでも、一気に作れば15分ですが、下ごしらえに時間を割いて、豚肉はタレに漬け込んだりして、なかなか美味しくできたと思います。

もうすぐ両親が食事し、こみちたちは8時過ぎまで待っていなければいけません。

食べた後の片付けに時間が必要で、急かすと何もしなくなってしまうので。

熱々で食べたいですが、いつもレンチンしています。

手作りは両親向け。

それでも「ありがとう」の言葉はありません。

家族だから、助けることが「当たり前」なんですね。