なぜもう父親に車の運転をして欲しなかったのか?
今年に入り、父親は脳内出血で緊急入院をしています。
幸いにも後遺症は目立ちませんが、以前よりも「まだら」になっている部分も見られ、また運転中に適切な判断ができずに、人身事故や物損事故などを起こして欲しくないからです。
それで、時間を割き、車で病院などの送り迎えを家族で対応していたのですが、あるキッカケで少しだけということで母親が父親にハンドルを握らせていました。
父親にとって、「車を運転できること」は自身のアイデンティティーにも深く関わることで、それを他人に止めろと言って欲しくはないのです。
その思いは想像以上で、イエス、ノーのような話では収まりません。
妻とは事前に相談をして、こみちから父親に遠回しではなく、単刀直入に「運転を諦めて欲しい」と告げました。
最初は頷いて話を聞いてくれたものの、最後は父親も感情的になってしまい、「だったら…」と暴れたりはしませんでしたが、感情を抑えて話を続けられる状況ではありません。
今は、父親は自室にこもってしまい、少し落ち着いてくれるのを待つしかありません。
思えば、入院が始まる少し前から、運転の継続はどこかでやめないといけない話でしたが、実際に残存機能でもある「運転」を中止させるのは簡単な話ではないです。
今後の話
今回の話し合いで、父親も母親も思った以上に話が伝わりませんでした。
受け入れられるかどうかではなく、話を聞いて自分の意見を伝えることがかなりできなくなっているのです。
それこそ、形式的に運転を禁止しても、隠れて乗るようになっても困るのですが、今回の様子を見る限り、話し合いはほぼ不可能だと思います。
運転することが自己表現とするなら、運転を控えるのは家族が生きる手段の1つです。
正解は何か分かりませんが、厳しい選択を選んでいかないとやはり今のままの生活を続けることには限界があります。