今日も夕方になってキッチンに立ったのですが…
老いれば、老いた暮らし方があるのも十分に理解しているつもりです。
ただ、「感謝」や「助け」に気づきながらも、沈黙を続けることで乗り切るのは「老い」とか関係ない話です。
先日、母親が段々と認知機能の低下を感じさせる言動があったことに触れましたが、実は「ありがとう」という労いの言葉を掛けてくれたことは一度もありません。
「親子だから当たり前」という意識なのか、言わなくても分かるでしょうと思い込んでいるのか、それは全く予測もできない部分ですが、こみちが作った料理が美味しいと思えば遠慮もなく食べていますし、味の好みが気に入らないと全く箸をつけないでテーブルに放置されていたりもします。
こみちには見せませんが、仕事帰りにスーパーで出来合いのオカズを買って来て、それで両親が食事するということもあります。
そして、その結果、こみちが作った料理には手をつけないことも。
そんなことが繰り返しあって、「もう別々に好きなものを食べるでいいんじゃない!?」と何度提案したことか。
母親に言わせると、「こみちが作ってある」ということが保険で、気が向いた時にスーパーで好きな料理を買って来られる(最悪、買わなくてもいい)という状況を幸せと感じるのです。
それは、まだ残っているドレッシングがあっても、別の味を空けて使うことが、至福の喜びなのです。
そして父親。
母親に向かっては、持論を語り、さも正解を知っているという雰囲気で断定的に話します。
でも、こみちがキッチンで料理を作り始めると、リビングの一角で朝から食事以外はそこで寝転んで座ってテレビのチャンネルをガチャガチャ変えることが生き甲斐です。
特定の趣味がある訳でもなく、興味がなくてもテレビをつけて、その流れてウトウトすることが数少ない幸せになってなっています。
それが一番の幸せなら、何も文句はありません。
個人的な好みだということなので。
でも、キッチンで料理していると、テレビを切って寝ています。
正確には「寝たふり」をするんです。
寝ていたら、料理を作ってもらっていることに気づかなかった…と自己防衛しているのです。
堂々とテレビ観ていたらいいと思うし、何もできない状態なら仕方ないことだと思います。
しかし、実際には父親はまだ自分自身能力を高く評価していて、本気になればこみち以上の料理も作れると思っているのです。
でも、もしもそんなことを口にしてしまうと、こみちに「じゃあ、どれだけ作れるか見せてよ!」と言われてしまうのも知っています。
だから、寝たふりをして、自尊心を守りつつ、作ってもらう助けに気づかなかったフリをします。
それが情けなく思えてならないのです。
何をどこで張り合っているのか。
いつも、自分も小さな世界の中で、一番は自分自身で生きて来たのが父親です。
そして、残念ながら母親も同じような行動があって、料理しているこみちに気づいても、「手伝おうか?」とも「ありがとう」とも言いません。
作ってもらうことが当たり前で、それが休みなく続いていても何も変わりません。
ある日、「買って来たよ!」というので、それを見たら2つしかないのです。
「誰用?」
すると母親は、誇らしげに「こみちたちで食べな!」と言うのです。
お分かりだと思いますが、両親分はありません。
つまり、その日もやはりこみちが作るしかなくて、時に買って来たオカズが邪魔になったりもします。
わざわざ、別で食べる。
しかも消費期限が今日までだったりするので。
でも、もうどんなに話をしても、両親の行動は1ミリも変わりません。
覚えていられませんし、ミスを永遠と繰り返します。
ギスギスとしてしまうのも、良かれと思って言葉を掛けても全く通じません。
父親は、まだ理解していますが、とにかく小狡い性格なので、期待しても頑張ることができません。
母親はまたタイプが違うのですが、相手の考えを理解するのが苦手で、「いい天気だね」のような簡単な単語なら会話になりますが、「東京は午後から雨かも知れないよ」と言うと、「大阪もだよ」とか、「昨日は降らないって予報だったよ」と、自分が知っている情報を返して来ます。
大阪に行く予定も無いし、昨日の予報を教えられても意味がありません。
まだ「傘要るなかなぁ?」なら会話になっていますが、母親の場合、常に言葉が母親から出されます。
この対応って、こみちが精神的に弱っても、助けてくれなかった原因にもなってしまう。
「もう辛い」と両親に打ち明けた時に、父親はそれを受け入れると損か得かを一瞬で判断し、大体は沈黙を選びます。
「どう思う?」と言っても、「分からない」と答えるでしょう。
それが、頭痛や風邪のようなことではなく、もっと重大なことだとしても、「放置する」ことを選べるタイプです。
一方で母親は、母性があるので「放置」はしません。
でも頭痛や風邪のような自分なりに理解していることは対処できても、「辛い」と言う言葉には反応できません。
本当に苦しかった時に打ち明けても、二人は全く助けてはくれませんでした。
だから寝たふりをする父親の背中を見ると、今日も切なくなりました。
でも、作った晩飯は当たり前のこととして食べているでしょう。
それで情けなくないのかと思う時期も過ごしましたが、結局は何を期待しても無理でした。
だから、助けられる範囲内で頑張るつもりです。
「これは、上手く出来たから美味しく食べてもらえるぞ!」なんて思って、全部食べていたりするです。
こみちたちの分までも。
でも、それがどうなるのか、本当に状況を理解できないことも段々と分かりました。
悪気があるのではなく、食べたいから食べたらなくなった。
ただそんな理由なんです。
それが、両親同居の在宅介護というものです。