子どもとは違う「老いた大人」の扱い方
「言うことを聞きなさい!」と言っても、老いた大人には効果はありません。
「老いる」とは、例えば直面した状況を今まで以上に狭い範囲で考えることのようなものです。
ただ、「狭くなった」という認識は、本人の自覚もないとは言えませんが、「何か混乱するなぁ」という感覚がその前兆なのかもしれません。
明らかに未発達故にできない子どもとは異なり、大人はそれなりに自分の考えで、同じような状況を処理しながら生きていました。
しかし、老いることによって今までできていたことができなくなったり、時間が数倍掛かるようになったりと、日常生活で実質的に「できなくなる」ことが増えます。
「ウソでしょう?」
随分と長い期間、両親の行動が「怠け」なのかと思ったり、「覚えてられずに忘れたのか」と思うことも多かったです。
キッチンを使いたくて部屋を出て、そこに父親や母親がいると、短くて15分、長いと1時間くらいは空くことがありません。
「コップを数個洗う」というようなことでも、まず15分では終わりません。
つまり、両親に何か担当してもらうためには、十分な時間的余裕を作らないと困難だと言うことです。
終わっていると思ったら昼過ぎになってもできていなくて、それが分かっているなら午前中に別のことを済ませられたという事態も珍しくありません。
夕方にやっと片付けてもらえ、そこから慌ただしく残したことを済ませるというケースが増えます。
こみち自身が若くて、俊敏に行動できるならいいのですが、やはり時間短縮は大変なので、正直なところ、家事をしてもらうことがとても厄介です。
それこそ三食、上げ膳据え膳にしてしまうと、両親の老いは加速すると思うので、最低限のストレスは残しておくべきだと思います。
でもその量が難しく、むしろ自分で済ませた方が楽なことも多いので、ある意味ではそれもまた「介護」に含まれるのでしょう。