なぜ転倒するのか?
転倒するリスクを左右するのは、足の指を上に反らせられないことが一因と聞いたことがあります。
転倒というと、足を上げられないと想像しがちですが、転倒と無縁な若い人でも足をしっかりと上げて歩いているとは限りません。
指を持ち上げられないと、室内で何気なく放置される電気コードでも、躓いて転ぶことがあります。
床から1センチくらいの高さですが、それくらい足は上がっているとは言えないのです。
ちなみに父親が転倒したのはごみ収集場の帰りで、咄嗟に手をついたようで、頭部などは打っていないという話でホッとしています。
転倒の危険を回避するために
父親は性格的に小さくまとまることで危険回避する所があります。
深夜に物音が聞こえて、それを確かめようと家族が顔を見合わせた時に、自分から手を挙げて行動するタイプではありません。
むしろ、じっと気配を消して、嵐が過ぎ去るまで何もしないという手段を選び勝ちです。
実はもう昔の話ですが、妻が庭で転んで「ちょっと誰か!」と叫んだことがありました。
父親が窓から庭を見て、まだ転んでいる妻と目が合ったらしいのですが、助けに来てはくれなかったという話でした。
妻はその時の切ない気持ちを、ふとした時にこみちに話すので、そんなことがあったんだと良く覚えています。
「大丈夫ですか?」
そのひと言が言える人間でいたいと思います。
話は外れましたが、高齢者の転倒リスクを回避するために、歩くことを止めるというのは最も選択肢にから外されるべきです。
とは言え、歩行力は加齢と共に衰えてしまうので、既に誰かの見守りがないと難しい段階なら、一人での歩行も注意が必要です。
ただ、父親の転倒の話で考えると、自己満足的に「歩いた」という運動だけではやはり不足だったりするので、転倒という出来事を活かすためにも日頃の生活習慣を見直すべきです。
ですが、これまでもずっと言うように、父親も母親も変わらないことに何かこだわりがあるようで、自分が納得しないことは一切行いません。
そして、悪い習慣についても同じで、それが理由でいろんな影響が起きていると説明しても、やはり自分で納得しないので何も変わりません。
まぁ、そんな両親にとって、自分らしく生きることは幸せなので、体と心が許される限り好きにすればいいでしょう。
しかし、いずれは身の回りのこともできない時が来るので、その時はその時に考えることでいいのでしょう。
投げやりな介護に見えるかも知れませんが、いろいろと試行錯誤しても何も成果は得られなくて、結局は好きにしてもらうしかなかったということです。
これまでの生き方がどんなものだったとしても、それを否定されて改善できる人は多くないのかも知れません。