「ボケる」という本当の意味を考える

 お笑いではなく介護的「ボケ」とは?

「記憶が悪くなる」というのも「ボケる」に含まれると思いますが、日常的な意味では「会話が通じなくなる」という現象がとても重要ではないでしょうか。

会話は、コミュニケーション能力なので、互いの立場や状況、約束や目標と言った暮らしに関わるいろいろなアプローチの手掛かりにも通じます。

しかし、ボケてしまうとは、これらのことが遮断されて、同じことを双方で行なったり、又はしなかったりするので、確実に行う時はそれぞれが意識しないと成立しません。

具体的な例を挙げると、食用油が少なくなっても、それを買って来ないといけないと誰が思っているのかが分かりません。

「油が少ないから買って来るね」

言ってしまえば、誰かがそう言って、聞いた人が「じゃあ、お願い」で済みます。

しかし、そう話していても、「店に行ったから買って来たよ!」とお願いした人が思いつきで買ってしまいます。

まぁ別に「油」が2つになっても問題ではありませんが、事前に連絡もしないでその場で勝手な判断をしてしまうのも「広い意味でボケている」になります。

本人の立場で何でも始めてしまうと、事前の相談や約束が意味を失います。

しかも、「するのをやめた」時にも事後になってしまうと、相談するということができません。

それが今のこみち家の状況で、母親の買い物がボケまくっています。

同じ物を立て続けに買って来たり、買って欲しいと頼んだものを買い忘れたり、微妙に肉の種類や量が中途半端だったりで、すんなり解決できません。

「どうしてコレなの?」

「安かったから」

別の肉を、しかもミンチを頼んでもスライスを買って来たりで、厳密には役に立っていません。

だから、お願い事ができなくて、買って来たもので作るしかなくて、足りない時は追加で買って来るしかありません。

正直、お金を渡しても必要なものを買って来てくれないので、食費の金額を減らしてもいいように思ったりします。

別途こみちが買うことが増えて、母親は逆に今まで以上に無駄なものを買ってしまいます。

「何で唐揚げなの?」

夕飯を作っている時に、20個以上も入った出来合いの唐揚げを買って来て、連絡してくれたらまだ料理しなかったりできますが、無駄にオカズが増えて、結局は食べきれないので翌日残ることも珍しくありません。

これがまだ「豚こま」なら使い道ありますが、出来合いを買ってしまうと用途が限られます。

こんな感じなので、母親が忙しく動いていても、あまり助かったということにはならず、「じゃあもうゆっくりしていたら?」と思うのです。

ある意味でそれが「介護」なんだと思います。