「 変えられない」「変えたくない」想い
昨日、脳出血を経験している父親が気分が悪いと起きていませんでした。
出血した際に、その部位が比較的良かったこともあって、麻痺などの後遺症もなかったのですが、注意するべきは高血圧や動脈硬化などの状況が改善してはいないということ。
つまり、現状では危険領域だからこそ、日常生活を見直す必要があると考えるべきでしょう。
ただそれも、生き方なので、「べき」とは言いつつも個々の判断に委ねるしかありません。
しかし覚えておいて欲しいのは、自由を満喫しておいて、助けて欲しいと全面的に依存しないこと。
対等と弱者を都合で使い分けてはいけません。
両親のサポートをして思うのは、「破綻」する前に気を回しても、それでは何も変えてくれません。
「変えられない」し「変えたくない」のが基本なので、両親共に自分に都合の良い解釈をします。
「お父さんの場合、脳出血しているんだから、気分が悪いのが続くと病院に行った方がいいんだよ」
でも父親は「行かない」といい、母親も「大袈裟な」と笑います。
まぁ確率的な話をするなら、すぐにまた出血するとは言い切れません。
しかし、日頃から食事や運動など、生活習慣の見直しをしていないことに全く不安を感じないで、すぐに病院なんてと判断してしまうことには個人的に反対です。
しかも、もしも父親が家で倒れたとしても、母親が自分で救急車の手配をして、掛かり付けの病院を冷静に伝えられるとは思えません。
「こみち! こみち!」
何かあると、自分で判断できずに狼狽えてしまうのに、そんな状況を恐れていないのは、最後に誰かが助けてくれると依存しているからでしょう。
それまでは好き勝手をしてもいいと思っているのかもしれませんが、依存された方はメンタルもやられます。
日頃から改善できなかっただろうかと悔むことになるのです。
「上手くいかなったね」という結果が起こった時に、本当なら当事者だけが後悔することも、途中で巻き込まれるとその人まで何か反省の念にかられます。
その想いをある意味で両親はとても軽く考えていて、できないことだけを助けるという方針にしないと、ずっと尻ぬぐいすることになってしまいます。
だから、失敗しないようにと早くから手を出すのではなく、一度は両親だけで失敗して、そこから改めてサポートするようにしないと、口でどれだけ言っても変わってくれませんし、変わろうとも思っていません。
ここ数ヶ月の間にした父親への提案は、形ばかりで何も変わっていませんし、母親にも同じような話を振ると「自分でできる」と言い出します。
でも数ヶ月の間、父親に動かないと言っていた母親は、やはり自分で決めて動いてはいません。
結局は両親共々、何も変わってくれないのです。
子どもとは違い、高齢者は自分のスタイルに強い執着があるので、面倒がって事を始められません。
しかも理由や動機を説明しても、最後は「もう年だから」とか逃げ口実ばかり長けています。
「年だから」と思うなら、そうなる前に始めておけばいいのに、放置するだけしてできないと言うのは、最後を誰に委ねるからでしょうか。
「できない」で終わるのでなく「ここは手伝って欲しい」という自分が当事者の意思を持っていて欲しいのです。