「真面目に生きている」だけでは報われない時代!?

 こみちが運動不足解消でランニングをするのですが…

ランニングをされない方には、あまり聞きなれない「キロ〇〇分ペース」という言葉。

それはランニングをする時の速度を示すもので、「1キロの距離なら何分で走れるスピード」ということ。

ランニングの初心者がキロ8分から6分ペースくらいなら、初心者がキロ6分、中級者でキロ4分、上級者ならキロ3分とイメージするば分かりやすいでしょうか。

走るという行為は、左右の足を交互に前に出し続けるのですが、その一歩を「ストライド幅」と言い換えたりします。

初心者が70センチ、80センチくらいなら、上級者は170センチ以上にもなります。

しかし、股下が違うからストライド幅が変わるのではありません。

ランニングで、ジャンプをどれだけスムーズに織り交ぜることができるのかに差があります。

そして、このジャンプが少しできるようになると「キロ5分ペース」が苦ではなくなり、言えば初心者から中級者の間くらいになります。

例えば、ピッチ走法という走り方は、このジャンプをあまり意識しないで、左右の足を頻繁に動かすことで速く走ろうとします。

まだ始めたばかりのランナーや、脚力に自信がないランナーに向いたフォームです。

とは言え、ピッチ走法でもキロ3分ペースでは走ることができますし、言ってしまえば、そのペースまで上げると自然にジャンプを織り交ぜて走っています。

「ジャンプする」のではなく、「ジャンプしてしまう」ということです。

しかし、「ジャンプしてしまう」というのは、ジャンプしながら走る練習を別の機会に行ったからで、走っている間にできるようになるものではありません。

ある程度のペースになると、「ジャンプ」するようになりますが、実は「弾む」ということが大切なのではなくて、「タイミング」こそが重要です。

そして、この「タイミング」は、こみちの場合は意識が正反対になるので、今までの流れで練習し続けても到達できることではありません。

つまり、「フォーム」を覚えるなら、一から変えないと上手く移行できないのです。

初心者が何となくランニングを始めて、運動経験者なら自然と修正できることもありますが、一般的には「キロ5分ペース」が大変に感じるのは、フォームを作るということを行わない結果です。

これは才能や能力ではなく、練習するべきことを練習しなかっただけで、結果に焦っても仕方がないことなのです。

ここから話が変わりますが、こみちはあるスポーツ選手を密かに応援していたのですが、そのキッカケはその競技に対するアプローチがユニークで、だからこそ結果に結びついて欲しいと願っていました。

しかしながら、想像とは異なる方法で結果を手繰り寄せようとし、こみちには「そんな話だったの?」と思ってしまいました。

直接、見た訳ではありませんが「頑張っている」のも想像できます。

でもこれってランニングの「フォーム」と同じで、「たくさん走る」だけでは課題を克服することはできません。

しかも、夢に掲げているのは、「キロ5分ペース」のようなものではなく、「キロ2分ペース」を切るような、それこそ才能に恵まれていないと到達不可能な領域です。

そして、そこに辿り着けるだけの素質を持っていて、しかも到達する意識を持っている人だと思っていたので、頑張って欲しいと願っていました。

ですが、「フォーム作り」という基礎さえしていなかったように思えて、「今、問題にしているのはどこ?」という感じです。

もちろん、「キロ5分ペース」は基本動作ができると難しくないことで、しっかりと指導を受ければ多くの人が到達できる課題です。

それができても、「プロ」になれるものではありません。

ただ、そこに至るまでも人によっては一年くらいの練習期間が必要ですし、無理をするとケガだって起こります。

「真面目にしている」だけでは、結果には繋がりません。

でも「真面目にしている」からこそ、継続が次の結果を生み出します。

ですが、次から次へと順調に見せて、ベースもないままではその成果を積み重ねる土台もありません。

最近、これと似たような話をいろんな場所で耳していて、上手くいっているように見えても、裏側はスカスカなことが多いように思えます。

真面目なだけではダメですが、真面目にもできないのはもっとダメで、それで帳尻を合わせてもどこかで破綻してしまいます。

何か残念に思えてしまった話でした。