実は大げんかがあって
何もかも依存する両親に我慢できなくて、怒ってしまいました。
ただ、それでも「できない」のであれば、「老い」が原因でしょう。
しかし、翌日は食器も洗っていて、食器棚にも戻すことができています。
そこに怒りを覚えるのです。
食器の件だけではなく、数えたらキリがないくらい両親は何もしなくなっています。
そして、それを原因にして起こる変化も受け止めてくれるならいいのですが、求めているのは今までと変わらない暮らしです。
つまり、自分たちが楽になり、そして満たされたままを求めて来ます。
親と子という関係で、例えばそんな願いを叶えてあげたいと思わないのではありません。
言えば、常に得を先に選び、損を押し付けることを当たり前に思っている所に不満があります。
朝食を家族分作り、先に両親が食べるとして、後でこみちが食べる時に異変に気づきます。
オカズをすり替えたりしていることがあったんです。
大きい方を選ぶとか、焼き目が好みな方を食べるとか、テーブルのそれぞれの場所に置かれた料理をわざわざすり替えてしまう行為に、こみちは心が苦しくなりました。
これを「品」というのだと思うのですが、この意識の違いは親子間でも埋めることができません。
最近では、食べ残したオカズをテーブルに残し、しかもまだ食べていないこみちの料理の脇に並べていたりします。
作った料理を、しかも手をつけた後に、その皿のまま返される気分って理解できないものでしょうか。
「だったらみんな好きな食べればいいじゃん!」と思うことがダメな発想でしょうか。
実は昨日から妻が朝食を作っています。
いろんな考え方があると思いますが、妻は両親とも親しくします。
言ってしまえば、怒ったこみちが悪者で、輪を乱す者という位置付けです。
数年前に、このままの生き方ではいずれは家族が崩壊すると両親にも妻にも言いました。
そして段々とそうなっています。
妻とは普通に会話しますが、以前のように長い話し合いはしませんし、こみちの会話を1分も聞いてはいません。
普通にあくびをしたり、視線を泳がせたり、以前とは態度も変わりました。
それも仕方ない部分がありますが、それだけ互いに距離ができてしまったと思います。
それが現状です。