親が老いたと感じる時期

 「ん?」と気になる行動が目立つ

断片的に目にしていると、初期段階なら気にならないのかもしれません。

しかし、例えばこみちの母親が帰宅して「リアワイパーが止まらないの!」と騒いでいました。

急な雨で久しぶりに操作したのでしょう。

リアワイパーを動かしたものの、止め方が分からなくなったという話です。

例えば、ラジオのチャンネル設定が上手くできないということなら、機械オンチなだけとも言えるでしょう。

電池の交換なども同様です。

しかし、今動かしたスイッチがどこにあるのかを忘れるのはちょっと心配ですし、時計回りか半時計回りか記憶していなかったとしても、スイってなら回すか上げ下げするくらいしかないでしょう。

昨日、車を運転していた時に、少し微妙なタイミングで脇道から合流した車がいました。

「おっと何だ?」と思ったのですが、その車の後部に高齢者マークがあります。

しかも脇道にはデイサービスの施設もあって、運転手が高齢者の男性だったので、配偶者を施設まで送り届けたのかもしれないと想像しました。

すると、その車が今度は路側帯に急停車しました。

止まるまでの動きが少し変だったことと車間を開けていたので驚きはしなかったのですが、なぜかこみちがその車を追い越した後、後方の車が割と長めにクラクションを鳴らしています。

バックミラーでチラ見すると、ちょうど停車した車に対して何かアプローチしているようにも見えました。

確かに、高齢者になるとどうしても「ん?」という行動が目立ちます。

路側帯に止まった車の運転手も確かに心配ではあります。

しかし、クラクションを鳴らした運転手も、見方によると「それ必要なの?」ということかもしれません。

悪気のないミスに対して、過度にプレッシャーを掛けても、本人は理解できないからです。

確かに客観的には気になる行動にも見えるのですが、だからと言ってそれを指摘しても、理解できないから「老い」なのです。

その意味では、そう言っているこみちも、もっと若い世代から見れば、「あの人変じゃない?」と理解に苦しむような行動をしていることでしょう。

でも、「まだ自分は大丈夫!」と思いがちなのは、やはり自分を客観視できなくなっているからです。

若い世代はそれらを「コンプレックス」と呼び、違和感を自覚しつつ、悩みを抱えています。

回りから見れば、その悩み、本人以外は気にならないけどということもあるでしょう。

しかし、高齢者の場合は自覚できないことも特徴で、できているつもりだからこそ、直してくれなかったり、変えることができないのです。

歌が上手く歌えないオンチにも種類があって、そもそも聞こえて来る「音程」が分からない人もいれば音程は何となく分かるものの、それに合った音が出せない人もいます。

高齢者の老いというのは、聞こえてくる音程が分からないのに似ていて、それこそ自分勝手に行動するしかない状況になるのです。

「それ違うよ」と言っても、その場はセーブできても、なぜ違うのかを理解できないので、また同じ場面でミスを繰り返します。

実際、こみちの両親も、全く生活スタイルを変えられません。

ダメだと言っても、次には元のままを繰り返します。

最初はそんな行動が理解できず、頑固な人だと思ったりしました。

でも老いによって、タイミングを合わせたり、状況に合った行動を取ったりが下手になってしまいます。

朝と晩の食事をこみちが作るのですが、両親だけで昼食は好きなものを買って食べています。

でも最近、「こみちたちの分」として賞味期限の迫ったオカズを何品も買って来ます。

しかもあまり美味しくないと言ったものを。

そんな会話も覚えていないので、ミスしても繰り返します。

「こみちたちのは要らないから!」と言っても、それは次回だけで、次はまた買って来るの繰り返し。

そんなに自分で買いたいなら、朝晩も好きなものを買って食べればと思うのですが、それは違います。

もう両親には、買い過ぎると晩の食事に影響することが理解できないのです。

それよりも「何か良いことをして喜んで欲しい」という気持ちだけが強くなって、行動を変えることができないのです。