母親に父親の病院に付き添ってもらった!?
糖尿病の父親は、マンジャロを使っていました。
週に一回、決まった時間に使うだけなのでかなり簡単です。
しかし、マンジャロで痩せたのは事実ですが、糖尿病が根本的に改善した訳ではないので、食事療法と運動療法が欠かせないことに変わりありません。
語弊がある表現ですが、生活習慣病としての糖尿病は、消費カロリーに対して食べ過ぎや運動不足も少なからず影響していると思います。
「運動」というとジョギングなどを連想しますが、普段から小まめに動いているような習慣があるだけでも運動不足は改善されます。
掃除や洗濯も、日々のことなので自然と運動になります。
ゴロゴロして何でも面倒に感じてしまうと、「ジョギング」のように運動を確保しなければいけません。
つまり、生活習慣病と言われるのも、食べるだけではなく、自分で料理すると味つけにも興味が出るはずですし、栄養にも関心が出るでしょう。
白米の量を減らしたからということで、糖尿病対策になるということでは無さそうです。
最近、父親が間違えてマンジャロを1日に二回打ってしまい、副作用なのか気分が悪くなってしまいました。
それで病院に相談した結果、マンジャロではなく、リベルサスに変わりました。
ただこのリベルサスは、経口薬で手軽ですが、飲み方に条件が多く、管理が難しいと感じます。
言ってしまえば、マンジャロを間違えてしまう父親だけでは、リベルサスを上手く使えるとは思えません。
かと言って、母親に管理ができるのかというと、それは厳しいようにも感じます。
その日に服薬する薬は、食事の時に用意してテーブルに置くようにしているのですが、冷蔵庫にあるマンジャロを予定とは違う時間に勝手に取り出して使ってしまうまでは流石に監視していません。
「お母さん、(お父さんに)打った?」
本数が合っていなくて母親に聞き、父親に聞き、いつもの時間とは違う夕方になぜ使ってしまったのか聞いた時はビックリしましたが、それくらい思ってもいない行動が起きたりします。
「マンジャロの本数が合わないんだよ」
「マンジャロ」という言葉と「本数」を聞いて、「間違えて使ってしまったのかも」と連想することが母親には難しいみたいでした。
「だから、お父さんが間違えて使ったんじゃないかと…。知らない?」
そこまで説明して、やっと「何で分かったの?」と意外な反応します。
しかしながら、最近の母親は、決まったことしかできないようで、少しでも新たな変化があると面倒に感じます。
料理も全くしなくなりましたし、その代わりにスーパーで出来合いの料理を頻繁に買っては父親と食べています。
自分から何もできない父親は、揚げものなどが入った高カロリーな弁当を食べ、それが糖尿病には良くないということを母親も気にしていません。
確かに、あっさりとした料理をわざわざ作るのは大変ですが、父親の将来をどう考えるのかによっては、今の食生活でいいとは思えません。
ただ、母親に何か言っても「面倒だし」という返事しかなくて、考え方を変えるのが難しいみたいです。
そのことで、妻と二人で話し合ったのですが、妻も母親の変化に気づいていたようです。
ここ数ヶ月で、老けたというか、認知機能が低下しています。
全体を見て考えることが苦手で、慣れたことを繰り返すしかしないというパターンが目立ちます。
薬が変わって帰って来た父親と母親に、「(この新しい薬は)いつから使うの?」と聞いても「どこかに書いているでしょう?」という感じです。
「どうやって飲むって言っていた?」とさらに質問しても、「そんなこと言われても知らないわよ!」と少し怒ってしまいました。
結局、その場では解決できず、母親に病院へ連絡してもらったのですが、電話での会話があまりに要領を得ていなかったので、途中で電話を代わってもらいました。
その時に改めて思ったのですが、母親は状況が整っていない中で話をすることが苦手みたいです。
「服薬」ということで、確認するべきことが連想できないのか、何を聞かないといけないのかも分かりません。
内心、その様子を見て「マジか?」とも思いましたが、それが現実なのかもしれません。
それだけ、母親も年を重ねたということでしょうか。