在宅介護「行き詰まったかもしれません」という話

 父親は要支援1ではない!?

認定調査の結果は「要支援1」という一番軽度なランクでした。

しかし、掛かり付け医の話では要介護1、2ではないかと。

その大きなギャップは、介護認定の担当者が訪れた時に父親が演じてしまうから。

もう少し認知症状が進むと介護の経験者であれば違和感を感じると思いますが、現段階では注意しないと会話の矛盾に気づけません。

まして、それを疑って会話しなければ、高齢者の場合、多少の異変はあるものなので、それを見逃してしまうこともあるからです。

しかも、こみちが住む地区の地域包括支援センターは、支援に積極的とは言えず、それは担当者だけの問題かもしれませんが、介護は先に結論を決めてしまうと何も進みません。

特に担当者は要支援1の介護予防でも初期段階と認識し、実際には認知症状が進行しているように思う状況とではどうしてもギャップが生まれます。

そして何か起こった時に担当者はきっと「それなら相談してくれれば良かったのに!」と言ってくれるでしょう。

言い換えると、介護の分量は、いくらでもコントロールできるのですが、それはリスクにどれだけのマージンを取るのかが違うからで、「特にサポートしなくても大丈夫」ということも言えなくありません。

母親の対応

母親昔から天然さんです。

お茶目で笑いを誘う人気者タイプである一方、こちらから話した内容を時々勝手な解釈で自分の判断になることもあります。

例えば「精肉」を買って来てねと頼んだ時に、「ハンバーグ」を買って来たりします。

母親としては、「肉」を食べたいのだろうという想像をして、手頃だろうと「ハンバーグ」を買うのです。

しかし、頼んだこみちは、冷蔵庫残った野菜とのレシピを考えて「精肉」と伝えるのですが、そんな前提を会話していたとしても思ってもいない行動に出てしまうのです。

でもこの癖は、介護する時にちょっと癖もので、例えば父親が不機嫌になった時に目の前で「予定が変わっちゃった」と平気で口にするのです。

なぜ予定が変わったのかというと父親が不機嫌になって外出を拒んだから。

でもそうなるまでの関わりは、母親の何気ない言動によってです。

母親も父親も自分たちの親の介護に関わったことがないそうです。

たまに実家に帰り、その時に介護中の親にお茶を運んだというようなことは介護には含まれません。

自分のペースで、自分の考えで行動することをずっと続けて来たので、相手のために「介護」するという考えにならないのでしょう。

今朝の様子をちょっと見ていて、母親に父親の介護ができないのではないかと思ってしまいました。

だとしても、どうすることもできないので、それこそ父親が自然と認知度が進み、介護度が上がるのを待つしかなくなります。

その間、こみちはまた父親が急に暴れ出さないか気にしながら仕事するしかありません。

かなり行き詰まった感じがします。