在宅介護を円滑に進めるために行政とどう関わるべきか?という話

 行政との関わり

在宅介護が必要になると、例えば両親の老化によって、子どもはどのようなことが考えなければいけないのでしょうか。

難しく考えると、我々が学校を卒業し、社会人としてどう生きるのかを模索するように、その生き方はとてもひと言で示すことはできません。

つまり、老いた状況になった両親をいきなり介護するしても、それはとても個別的です。

ただ、行政の窓口として、住まいの地域を管轄する福祉課や地域包括支援センターが役立つことを知っておいて損ではありません。

しかし、行政の立場になれば、管轄する世帯数はとても膨大で、しかも介護支援はデリケートで複雑です。

つまり、「どうすればいいでしょう?」という丸投げの姿勢で、福祉課や地域包括支援センターを頼っても、結果的に事務的な返答しかもらえないでしょうし、期待していた分だけ落胆することもあるはずです。

介護未経験の方のために、簡単に説明をするなら、公的な介護サービスを受けるには、介護保険制度に従い、介護認定というサービスを受けるのに相応しい人でなければいけません。

つまり、年齢によってサービスを受けられるのではなく、言ってしまえば今までの暮らしが困難に感じた人が、公的サービスを受けられるのです。

もちろん、経済的に余裕があるなら、そのような制度を頼る必要はありませんが、公的なサービスとして受ける場合、利用者は収入などによって1割から3割の負担で済むので、介護サービスを長く使うことを考えると公的なサービスはとてもありがたい存在です。

しかし、それだけに受け身のままで待ってしまうと思うように進まないので、知識を得るために福祉課や地域包括支援センターを頼りにする場合と自身でも集めた情報を元に「このようなサービスを提供してもらうにはどうすればいいでしょうか?」と具体的に煮詰めた案を示すことも必要でしょう。

その理由として、行政の窓口は多くの介護サービス提供を個別にひいきはできません。

人気のある施設だけを紹介することができないという立場的な問題もあるからです。

つまり、「どうすればいいですか?」という質問ばかりでは、何も決まらない可能性があって、だからこそ具体的に「Aという施設を使いたい」とか「Bというサービスはどのようなものか?」と必ずしも返答してもらえるとは限りませんが、少なくとも能動的に行動しなければ何も返ってこないことも珍しくありません。

要介護と要支援

介護サービスを受けるには、介護認定を最初に受けなければいけません。

つまり、公的サービスを必要としている対象者である確認です。

地域にもよると思いますが、福祉課に申請を出して、認定を受ける日の予約をし、実際に結果が出るまで、1ヶ月という期間では収まりません。

つまり、8月の1日に福祉課で申請を出しても、実際に認定結果を受けるまで9月や10月になってしまうこともあります。

それだけ時間が掛かるので、親を介護することになって介護サービスを利用しようと思っても、気持ち的には数ヶ月くらいのつもりで待つしかありません。

最も軽いとされるのが、要支援1です。

それよりも一段重いのが要支援2で、これら要支援は本格的な介護にならないために、予防的な意味で公的サービスを利用し、元気で暮らせることを目的としています。

一方で次の段階となる要介護1、さらに2、最も重い5まであるのですが、この要介護になると介護士の経験として要支援に戻ることは少なく、多くの場合、現状維持か段々と重くなります。

目安として要介護3は、トイレを一人では行けないレベルをいいます。

もちろんそれが基準ではありませんが、要するに家で介護するとなると、トイレの度に家族の支援が必要だという状況です。

トイレには手すりがあった方がいいでしょうし、そもそも便座に座ったり立ったりができないかもしれません。

ズボンを脱いだり履いたりが難しいといることで要介護3になることもあります。

トイレがそんな状況ということは、お風呂に関しても同様なので、一部自分で洗うことができても、家族の誰かが一緒に手伝わないと一人で完結するのは難しいはずです。

ということは、要介護3と判断されることには、在宅ではなく施設での生活に切り替えた方がいいかもしれません。

なので、在宅介護ができるのも要支援の時と要介護1、2の時で、特に要支援の場合、直接的な介助よりも軽い支援が求められます。

しかしながら、まだ口は達者で、でも一部分がごっぞりとできないような状況なので、怒り出したりすることもあれば、家族が言い聞かせても従ってくれないことも起こります。

「大丈夫」と「年だから」を使い分けて、希望することは大丈夫といい、嫌なことは年だから無理と言い出します。

楽な方に進みやすく、家族が振り回されることも起こります。

例えばこみち家の場合、父親に説明しても理解できません。

明日になれば都合の悪いことは忘れていますし、説明も最初からになります。

昨日は納得しても、今日は怒り出すということが頻繁に起こるので、言葉でも説明できないし、どうすれば分かってくれるのか、一番大変です。

状況を見て行動するということが難しく、言えばわがままな子どもに戻ってしまうので、受け入れられないと拗ねたり暴れたりととにかく面倒です。

もちろん、別の面では今まで通り理解することもあって、全てが分からないという訳でもありません。

こみち家の場合、作話することが増え、会ったこともない人からアドバイスされたとか話を作ります。

そうなると、「前回先生に〇〇と言われたでしょう?」と言っても、「別の先生が大丈夫だと言った」となり、会話が成立しません。

この作話が自己防衛の性格から来るのか、認知低下による症状なのかによって、介護度が変わると思いますが、会話が進まないことに変わりありません。

しかし、高齢者の場合、社会的に孤立し、会話が家族だけになってしまうと、どうしても認知機能の低下に繋がります。

週に一回でも施設などを利用し、いろんな人と話すことが刺激になるからです。

とは言え、「大丈夫」と言い出されてしまうと、どんなに必要性を説明しても無駄で、家族の希望通りにはなりません。

つまり、認知機能がもっと低下し、要介護になって施設相当と判断されるまで、打開策が無くなることもあり得ます。

かと言って、行政に丸投げしても難しいので、在宅介護が家族にとってとてもストレスの高いことなのです。