暴言を吐く父親に家族としてどう向き合うのか?

 昼の出来事

父親が仕事で家に帰って来た母親を捕まえて、「車の鍵を出せ!」と迫っています。

7月に脳出血が起こり、入院していた父親ですが、幸いにもマヒなど見える部分の後遺症はほとんどありません。

しかし、作話することや嘘、妄想癖が強く、自分の都合よく喋ります。

先日、地域包括支援センターの方が訪問した時も、いかに自分は頑張っているのか話し、それを信じた担当者は「次回は認定が降りないかも…」という発言まで飛び出します。

認知症と言っても、物忘れをするというようなことばかりではなく、ある意味で起こった一部分がごっそりと抜け落ちてしまうので、してくれたこともしてしまったことも覚えていない可能性が起こり得ます。

例えば、車の運転で事故を起こした時に、「なぜ?」と質問されても「覚えていない」ということが起こり得るのも認知症状です。

父親は器用な人なので、誰もいないサーキットを車で走ることは今でもできるでしょう。

ただ、家族として心配なのは、父親自身ではなく、巻き込んでしまう他人の迷惑を考えるからです。

しかし、経済的な側面や人道的な側面から話しても、それを理解するよりも「自分は運転できる!」という意識しかないので、「なぜ運転できないのか?」を冷静に受け止めることができません。

母親は暴言を吐き続ける父親に恐れ、また嫌気もあって話し中だったのに家を行きました。

夕方には戻るとは思いますが、正直、荒れた父親の世話を拒否し始めています。

かと言って、地域包括支援センターに相談するとしても、先日の様子から判断する限り、父親が暴れたとしてもそれだけでは何か支援に入ってくれるとは思えません。

話して理解できなくなるのが認知症状なので、今日よりも明日、明日よりも明後日とどんどん意味不明な態度になるでしょう。

それこそ、寝た切りまでなってしまえば、自分で動くことが難しくなるので、身体介護的な支援だけになりますが、現状は非該当にも見えるほど達者なので扱いに困ります。

妻や母親に対して直接的な暴力行為に出たら、方法は変わりますが、家事もできない、仕事もしないという父親の立場はきっと彼自身も苦しいでしょう。

真面目に言えば、車の運転そのものを父親から取り上げたい訳ではありません。

それがあることで、社会的な繋がりも築けていたのは事実なので。

しかし、日常生活のありとあらゆる面で父親は受け身です。

受動態という意味ではなく、自分からは何もせずに結果だけを受け取る生活をしています。

例えば料理をしないのであれば、それこそ自分で全て担えばいいのです。

車の鍵がないなら、車を自分で買ってくればいい。

でもそこまで自分から動くことは難しく、目の前に鍵があって、それを使って運転できるに過ぎません。

例えば事故を起こしても、その手続きや賠償金も自分では用意できません。

客観的には何もできない父親なのですが、その状況になっていることを理解できないのです。

なぜなら、「できない」という部分をもう把握できないからです。

切迫詰まるような場面に直面すると、こみちはパニック症状が起き、指先が震えてる来るのですが、さっきもドキドキしてしまって気を落ち着けるのがとても大変でした。

冷静に判断できる時はいいですが、パニックになってしまわないように注意しなければいけません。