「受け身」の姿勢は変わらない!?
こみちは親元を離れて、自炊経験があります。
料理を作ることが全く苦ではありませんし、レシピを調べて作ることも嫌ではありません。
ただ半年くらい前までは、こみちが朝食と弁当を作っていましたが、夕飯に関しては母親が作ることになっていました。
ただ、「味見をしない」という習慣が母親にはあって流石に食べられる料理ですが、美味しいのかというと疑問符が残ります。
しかもそもそも料理を作ることが好きではないらしく、「この料理は…」という料理も一定の間隔で繰り返し出て来ます。
段々とそんな料理が分かるようになり、食べられずに残ってしまうということが常態化していました。
そんな経緯もあって、母親は「味見をして作る」ではなく、「料理を作らない」になってしまうのです。
もう少し詳しく言えば、夕飯は出来合いの料理を買って来るようになり、父親が糖尿病でありながら、揚げ物や塩分の高いであろう料理でも気にすることなく出してしまいました。
父親は三度のご飯は量が減り、日中、一人になった時にアイスクリームや煎餅など、糖や塩、油を多く含んだ食べ物を食べているようです。
リビングに降りて行くと、そんな食べ物を隠すのですが、こみちにすれば別に何も気にしていないし、好きにすれば良いとも思っています。
ただ気になるのは、両親が次回父親の脳内で血管に破裂などが起これば、今回のように記憶力の低下だけでは済まずに、在宅介護そのものが困難になる可能性もあるんだと理解できているのかということ。
その上で、油っ濃い食べ物を好んでいるのなら、それは自分らしい生き方を選択しているとしか言えません。
健康的な食事をして、あと十年長生きすることに何か目標があれば良いのですが、それを見つける気力がないのであれば、長生きする理由もないからです。
こみちは時々ですが、youtube でリハビリなどを懸命に行い、日常生活を取り戻そうとしている人の映像を観て勇気をもらうのですが、父親や母親に関しては何をどう説明しても、結局は自分たちの思うようにしか生きられないし、言われてストレスを感じるようなので、今は何も忠告していません。
しかも、父親に関しては、妙に男のプライドがあるようで、こみちに援助されることをどこか拒んでいるようにも思います。
「料理を作ってもらっている」という現実に、「だから自分で料理をしよう」ではなく、「母親に作ってもらおう」「出来合いの料理を食べよう」になってしまいます。
かと言って、母親は前にも説明した通り、ほとんど料理を作りません。
久しぶりにとうもろこしを茹でていましたが、火を使う家事をするのが一週間ぶりくらいのレベルです。
そこまでこみちに対して何かプレッシャーを感じているなら、自分で頑張れば何も問題はないのですが、父親の場合、プライドや自尊心は高い割に努力を続けることが苦手です。
まだ結果が出ていない介護認定ですが、だからこんな介護サービスを受けようという気持ちはなく、父親に合いそうな施設を見学したりして流れを調整するのはこみちになります。
だから「在宅介護」なのですが、正当に行っている手続きがあることは全く関心がなくて、「世話にはなりたくない」という思いだけで行動し、それを母親も後押ししている状況です。
ポテトサラダを塩分控えめで作っても、結局は手をつけないので、だったら最初から惣菜でも何でも好きなものを買って食べればと思ってしまいます。
わざわざ時間を割いて、父親が料理を作れず、母親も作りたがらないので、代わりに作るしかないのに、まるまる残すというのは、小さな抵抗なのでしょうか。
何か家族と言っても、それぞれがそれぞれに生きていて、「こうでなければ」と世話を焼くとそれはお節介になってしまいます。
事情を説明しても理解することが難しくなってしまった母親なので、頼みごともできません。
最近では、妻も家に帰るとストレスらしく、表情がいつも硬い感じがします。
つまらない両親の苦情を聞いてもらうこともできないので、何のためにわざわざ食べるかも分からないのに料理を作っているのか理解できません。
自分たちの食べる料理ならパスタとか全く異なる料理も考えられますが、両親向けに作る必要もないのですが。