父親の介護における母親のポジション

 なぜ父親に介護が必要なのか?

脳出血を経験した父親は、後遺症として記憶力の低下が見られる。

物覚えということだけではなく、情報を複数の場所から集めて処理することが苦手になった。

簡単言えば、消費期限の違いを考え、食べるべきおかずを選ぶことができない。

「何か食べたいものは?」

そんな風に質問されて、食べたいものを食べることはできる。

でも、今冷蔵庫何が入っていて、どれから食べないと腐らせてしまうのかを考えたり、食事の前に洗濯機回しておけば、食後に洗濯物が干せると予定組むことが難しい。

食事は食事。洗濯物は洗濯物。

全てが足し算なるので、とにかく時間が掛かるし、そんな煩わしさに慣れていない。

なので、できることは、「食べる」ということだけになってしまう。

母親のポジション

最近、家事から段々と離れている母親。

加熱を要するような料理は1ヶ月以上していないのではないだろうか。

元々、料理が苦手で、作る時も味見全くしない人だから、濃い薄いは当たり前で、加熱のし過ぎや不足も多かった。

市販の混ぜるだけでできる酢豚を作ってくれた時も、ピーマン完全に生出し、玉ねぎも火が通っていない。

他の食材を追加しているから、味までボケてしまっている。

当然だが、家族の誰もが食べなくなり、段階と母親も料理することから遠ざかってしまった。

しかし、これまで料理をしてきた主婦としてのプライドは残っていて、スーパーでいろんな出来合いを買って来る。

例えば今日の夕飯は、ハンバーグと焼きそばだ。

実は朝、もも肉を買っておいて欲しいとお願いした。

ネギがたくさんあるから、もも肉で焼き鳥丼を作ろうと思っていたからだ。

しかしながら、もも肉を買うことはしなくて、出来合いのハンバーグを買って来た。

母親にすれば、こみちに料理させるのは申し訳ないと感じているのかもしれないが、かと言って自分で料理することはない。

だから出来合いのハンバーグになるのだが、それこそ毎日のように出来合いのものを買って来ている。

もう一つ懸念しているのは、父親が糖尿病で、インスリンの分泌を促す薬を服用している。

いわゆるアルツハイマーのような理由で脳に出血が起こったというよりも、糖尿病から来る血管の破裂ではないかと個人的に考えている。

つまり、それだけ血管が弱っているから、今後はより一層食事面の改善が必然だということ。

ところが、食欲の低下が見られる父親だが、甘いものはやめていない。

薬を飲んでいれば、何を食べてもいいと医師に言われたからだという。

しかし、当たり前だが健康的なバランスの取れた食事が悪いはずはなく、甘いものばかりの飲食では問題にもなる。

しかし、母親が父親と昼に食べたのは、おはぎだった。

それを知った時に、こみち自身も「嗚呼」としか思えなかったし、もも肉で焼き鳥丼を作り、加えて切り干し大根も食べてもらおうと買い物して来た。

でも、なんだかため息が出てしまうのは、あれこれと思っていても、両親にとってはおはぎなどを食べるそんな食事でいいのかもしれない。

というのも、今になって食事や運動習慣を見直し、例えば3年計画で取り組んでも、父親にとってその先に何か期待できることがある訳ではない。

退院して来た後に、両親で旅行にでも行ってくれたらと話もしたけれど、だからと言ってそれを目標に運動している訳でもないし、相変わらずテレビを観ている毎日に変わりない。

それで糖尿病が改善するとは思えないし、服薬で痩せた筋力はますます歩行を困難になせている。

既に一度、脳出血を起こし、医師から場所が違っていたら麻痺が起こっていても不思議ではなかったと伝えられても、自分から運動することもないし、母親が率先して誘う訳でもない。

運動と言っても、家のまわりを10分も歩くこともしないのだから、ヤル気があるかないかの違いしかないだろう。

母親に問えば「お父さんが行きたがらない」とか「外は暑いし」というだろう。

父親も同じで「行かない」としか言わないだろう。

考え方を改めて、それこそ好きなように生きればよくて、次に脳内出血が起こり麻痺でも出てしまったら、今度は在宅ではなく老健に入ってもらい、その流れで特養へと続く。

それまでの間、好きなように食べて飲んで、テレビを観て過ごすことが今にして思う父親の「夢」なのかもしれない。

ただそんな父親の姿を支えている母親が、ここ1ヶ月でかなり認知力が低下している。

もも肉を買って来て欲しいという頼み事をハンバーグを買ってしまうのも、なぜ買って欲しいのかを覚えておけなくなっている。

それは買い物だけではなく、リビングの様子にも表れていて、出しっぱなしのまま出掛けてしまうことが増えた。

ダイニングテーブルの真ん中に自分の使ったコップを置いたままにする。

「介護」はとても範囲が広くて、それこそ何をどう支援するのかの部分で、両親が何をして欲しいのか、するべきなのかは、簡単には決められない。

厳しくしても両親には酷だろうし、緩くしてこみち自身に後悔が残るのも嫌だ。

でも、どんなに思っても、本人が意識して望まないのに、それを怒るのは違うし、今のままで満足しているのならそれを受け入れることも介護なのだろう。

思うようには行かないのが介護だ。