「不満」はどこに?

 精神疾患の後遺症!?

受診していないので「うつ」と診断された訳ではありませんが、無気力になってしまった自分に気づかず、項垂れてしまっていた所を幾度も妻に心配されていた時期がありました。

簡潔に言えば、自分では気づけないことですし、どれだけの時間、ぼんやりと無気力になっていたのかも分かりません。

世界中の時間が止まって、「一瞬」の中にずっと立ち止まっているような感覚です。

その後、妻が積極的に自然に触れることを勧めてくれたこともあり、段々と精神的なストレスを控えれば普通に過ごせるようになりました。

モヤモヤと心が苦しくなると「ランニングをする」という習慣もその頃からです。

心に直接アプローチできない時でも、体を通じてアプローチはできるので、別にランニング一択ではが、体を動かすことも方法として知っていると役に立つことがあります。

今の感覚ではそうでもありませんが、当時は15キロくらいの距離を歩いたり、もっと長い距離を走ったりして、クタクタになって一歩も出せないくらいに追い込んで、でも家まで一歩ずつ近づいて行くことが安らぎになっていました。

「ダメだ」という結論を出すことは、その時も簡単にできました。

でも、「あと一歩」だけ「もう一歩だけ」と、足を引きずりながらでも休みながらでも進んで行くことに、「生きている」という実感が感じられたのです。

今は、短くて5キロ。少し長いと7キロを一回のランニングで走ります。

体力が有り余っていたり、モヤモヤした感覚が増えた時には、それを朝夕2回することもあります。

しかし、ランニングも慣れてしまうもので、1日に行う運動量をランニングウォッチで心拍数などから計算してもらうのですが、オススメの運動量をランニングで行うなら10キロ以上を走らないと達成できません。

それだけ心肺機能が向上し、バテにくい体になったとも言えます。

ですが、気力の面では以前に戻ることはありません。

「一人で運動する」時の体力はランニングで向上しても、精神的なプレッシャーにはかなり脆くて、パニック的な状況になりやすいままです。

それでも、老いた両親とどうにか同居を続けていて、暴れて驚かせた父親も少し落ち着いていますが、問題が解決した訳ではありません。

離れて暮らす妹も心配してくれて、よく連絡をくれるようにもなりました。

父親が暴れた時にテーブルの角を壊したのですが、塗装が剥がれて下地見えています。

じゃあ、それを父親が直すのかというとそうではありませんし、買い替えるお金をくれることもありません。

「こんな暮らしは嫌だ!」と言っていた父親ですが、どんなに不満を爆破させても、結局はそう騒ぐだけで自分で解決するように行動してくれる訳ではないのです。

多分、家族の誰もが「今の暮らし」に満足していません。

でもそれは「今」だからそう思うのであって、過去に何度も改善できるタイミングがあって、その時に努力も見直しもしなかった結果なのです。

父親の想いは理解しましたが、父親が壊したテーブルを直そうともしないのは、過去にして来たことを繰り返している弱さです。

どんなに「今」、大きなことを口にしても、継続できなければ未来は変わりません。

胆力みたいな力が落ちたままのこみちは、以前よりも踏ん張る力がなくて、一気にことを進められません。

休んで歩いて、それを繰り返しながら、少しずつ前に進むようになりました。

父親にも母親にも、何も言わなくなったのは、「努力する」という習慣を最後まで持ってはくれなかったと見切ったからです。

甘えを許しているのでも、関係を修復するつもりでもなくて、もっと深い部分で一段階、心が離れてしまったということです。

生命の危険に直面すれば、きっと助けるとは思いますが、それぞれが好きに生きてくれたらそれでいいと思います。

もっといい人生にできたのにと思うのは、こみちのお節介で、それだけに適した人生があると思うので。

父親はこみち以上に努力しない弱い人間です。

周りに助けられて、許してもらいながら生きて行くしかできません。

それを謙虚に受け止めることもできず、世話をしてくれた人が立ち去っても、そこに自分から反省することもして来ませんでした。

「せめてこれだけは…」

簡単にできる約束も、いつしか守ってくれなくなり、結局は自分の心地よい生き方しかできなくて、不満になったら騒ぐを繰り返すのでしょう。

そんな父親を怖いとは思いませんが、自分から苦労してでも支えたいとも思いません。

なぜなら、父親自身が変わらない人生を良しとして生きているので。