認知機能低下と親の自尊心

 客観的に見て

できるかできないかではなく、するかしないかという意味では、加齢の影響なのか以前よりも中途半端に放置するケースが増えています。

買い物した袋をテーブルに置いたままにする。

箱買いしたペットボトルの最後の一本を取っても、ダンボールをそのままにする。

あと少しで飲み切るような時は、処分を考えて手を出さないなどなど。

つまり、お膳立てすれば手を出すことも、そうしなければ避けて通るという行動が増えました。

ただ好きなことなら、そのために必要なことはできるので、例えばたくあんを切ることもします。

なので、高齢の両親だけで生活すると、決まったものしか食べない食生活になりそうです。

年を重ねても自尊心はなくならない

親を見ていて、日常生活のいろんな面でサポートをしても、「ありがとう」とは言いません。

その理由として考えられるのは、「自尊心」ではないかと思います。

母親は最近全く料理と呼べることをしません。

代わりに、スーパーで出来合いのおかずを買って来たりします。

その時に「料理をする」という選択肢ではなく、簡単に解決できる「買って来る」を選びます。

結果的には、選択肢が減り、ワンパターンになりやすいので、上手くできないことを避けてしまう傾向が強いです。

しかし、認知機能の低下が見られると、そうなっていることに危機感が薄くなります。

一方で、今までもあった自尊心は消えることがないので、「できていない」ということよりも「自分を守る」という意識が目立ちます。

冒頭で、できるできないではなく、するしないが変わることを紹介しましたが、しなくなってサポートが必要なのに、それでも自尊心が顔を出してできていないことを選びます。

老老介護などでは、ある意味でそれが当たり前になるのかもしれませんが、両親を介護するような場合、時間も掛かるしできてもいないということが生活面の至るところにあって、時には片付けた後を追うようにまた手直ししたがることも珍しくありません。

料理を作らないのに、食材を移動させたりするという行動が、正にそれで、できないことを直すのではなく、できるという自尊心は残したくて、ちょっと場所を移動させるということをします。

「豚肉がないんだけど?」

「ああ、冷凍したよ」

冷凍したことに何か目的があったというよりも、自分なりに食材を管理しているっぽい行動が正に自尊心なのです。

左にあったものが右に、右のものが左に。

とにかく不便ですが、それが自尊心を保つ行動なので、介護する場合に頭ごなしに否定することはできません。

自尊心を保つ余裕を残しつつ、できなくなったことをサポートしなければいけないので、その距離感が大切になります。