「悩む」意味はあるのか?

 なぜ「悩む」のか?

困難な問題に直面し、それを克服、解決したいと思う時に「悩む」という感情が芽生えます。

しかし、同じような状況であっても、「決断する」とか「選択する」というような自身が主体となって前に進むケースもあります。

その意味では「悩む」とは、解決に至るまでに自主性が乏しく、他者の影響で結果も変わりやすいということもあるでしょう。

だとするなら、「悩む」という感情は、どんなに考えても、シュミレーションしても、自身だけで具体的な結論を出すことが出ないので、「悩む」以上は解決に前向きであるべきです。

あまりいい状況ではない「悩み」の場合、そこに至るまでの前提を覆さない限り自身では解決することができないので、悩むストレス時間が無駄になってしまいます。

つまり、自主的に解決できるまで根本に立ち返るか、「悩み」に感情を揺さぶられるのを辞めて、なるがままに任せてしまうしかないのかも知れません。

例えば、困難な問題があって、その期限も決められているとしたら、少なくともその期限を過ぎればどんな結果になるかは別として、その時の「悩み」は結論に至っているはずです。

そう考えると、期限まで放置しておけば、そんなに深く悩まなくとも結論に到達しているとも言えます。

同様に、「悩み」に至る前提を見なす目的で、その悩みに関わる人物に「このままでは解決が難しいのでどうすればいいか」と悩みそのものを見なすことで解決する方法もあります。

自分で決めれば解決できることなら、悩むことでより良い選択肢を選び、いい結果に繋がるかも知れません。

しかし、どんなに悩んでも自分だけではどうすることもできない問題は、関わらずに放置するか、解決目指して解決できる人物相談するしかないのです。

悩みのレールに乗ったまま、最後まで自分ではどうすることもできないのに悩み続け苦しむ必要はありません。

なぜなら、レールに乗っていれば、そうなるしか無いからです。

だからこそ、レールを敷き直し結論変えてしまうか、レールから降りてしまうといいのです。

そのまま悩み続ける必要はありません。