父親の様子、母親の様子
洗った食器を拭いて食器棚に戻すことができなくなった父親ですが、今は少しずつ回復しています。
ただ、数ヶ月前の状態を「10」として、最も低下した時が「1」だとしたら、今は「5から7」くらいに戻りました。
とは言え、「労働」とか「役割」を責任を持って担うことは難しく、できる時にできるまでの作業なら行えるという感じです。
入院前にしていた、例えばコーヒーの粉をコーヒーの瓶に補充するような作業であれば、時間は掛かりますが行うことができます。
一方で、食事量がかなり減り、食べたがるものに偏りがあります。
糖尿病を患っていることもあり、甘いものや水分などを欲しがります。
母親の方は、父親の入院前が「10」だとして、退院後「8」くらいに下がりました。
年齢から来る聴力の低下で、会話での意思疎通が難しい場面もあり、結果的に母親の思うように行動してしまうケースが増加しました。
例えば、夜はキッチンのシンクに「洗い桶は置かない」という決め事も、たっぷりの水を入れて一晩中置いておくということが守れません。
いくつか決め事があるのですが、会話力と記憶が低下しているで、母親の昔の記憶だけで行動している感じです。
その結果、何かしてもらうと二度手間になってしまうことも増えました。
どう生きて行くのか?
最近、特に母親の行動に不安を感じます。
父親の行動が心配ないということではなく、父親の行動が回復したとしても、「できること」が今まで以上に増えることはなく、できなくならないように継続するしか期待できないからです。
つまり、母親が認知症になっても、それを父親が介護することは難しく、やはり「できること」ならできるに過ぎません。
その意味ではこみち家では母親が潰れてしまうと、一気に両親の介護になってしまうので、疑問を感じる行動が増えたとしても、母親の役割まで制限することは厳しいのです。
「換気するのが好き」で、よく窓を開けている母親ですが、例えば何も知らずに外出した時に「私の部屋の窓、閉めてくれた?」という話が起こります。
「人の部屋まで確認しない!」と答えるのですが、ふと気づいた時に何かしたままで出掛けてしまうので、「誰も手伝ってくれないと思ってね」と言い聞かせていますが、それが本能(開けておきたい)」という気持ち勝てません。
「少しでも安い商品を買いたい」という本能が、今日までの消費期限の商品を買わせて、「ちゃんと期限を確認して買っている?」と思うことも頻繁です。
「(パッケージの)文字が小さくて見えない」という理由なのですが、メガネを掛けるのは恥ずかしいらしく、何度も言っても改善されないまま、今でもギリギリの商品を買ってしまいます。
「買い物を任せられない」と判断するのは簡単ですが、それを言い出すと既に何か役立っている家事が無くなっているので、その意味では母親に対して家事が「介護」になっています。