介護認定を明日に控えて

 父親の部屋を整理整頓することに

今まで、こみちとしては親の考えや尊厳を優先して来たつもりです。

「社会的にも絶対に許されないこと」を除けば、個人的に疑問に思っても生活面で口出ししませんでした。

その一つが、各人の使っている部屋だったのですが、父親の部屋に入ったのはしばらくぶりで、実は少し気になっていましたが「片付けしているの?」とさえ言いませんでした。

しかし、今朝になって今後の生活を考え、介護用ベットを置くなどを確認したかったのですが、思っていた通り酷い状況で、布団が三つ折りに床にあって、その周りには衣類やタオル、そのほかの私物が整理整頓ではなく、使うままに置かれています。

数年前に使用された書類の束や、買い置きされたティッシュボックスなど、「ゴミ」ではありませんが、それが壁に積み上げられていて、この空間で暮らしたいとは思えない状況でした。

半ば強制的に片付けを始め、でも父親はテレビの前に座ったままで一度も様子を見に来ることも手伝うこともしません。

母親でさえ「大変ネェ〜。私もしようと思っていたんだよ!」と言い様子を見に来ましたが、何か片付けることさえありませんでした。

「仕事があるから!」

最近、ストレスの掛かることはあると、すぐに逃げ出すようになった母親で、父親という自分の旦那の部屋でさえ片付けるとは言い出しません。

つまり、「困った」「大変」とは口にしても、もう母親ができることはそう多くなく、以前よりもずっと楽になったはずの「仕事」を理由に、父親の介護からも逃げ出してしまうでしょう。

介護とは、「できない時にどうやり切るのか?」が一番辛く、できる時にできることをするだけにしてしまえば、かなり精神的な負担はへります。

特に在宅介護で、絶対に朝昼晩の食事を「父親のために用意する」となると、一気に家族の行動は介護に制限されてしまいます。

正直な話、既にこみち家はゲームオーバーです。

さらに言えば、父親の介護を母親が主担当になれば、母親だって潰れてしまうでしょう。

だからと言って、両親の世話をこみちと妻で担うと、どちらかが潰れて、最後には家族全員が潰れてしまいます。

つまり、母親が父親の介護から逃げてしまうと、それがキッカケで家族は潰れてしまうという状況にまで来ています。

ギリギリの決断

父親の部屋を片付けたのも、こみちとしてはギリギリの決断でした。

以前、父親の妹を介護施設に入所させる手伝いをしましたが、その時もこみちの精神はぼろぼろで、仕事のストレスも重なって、鬱のような症状を発症しました。

でも、そうなっても両親は自身の生活を見直すこともしませんでしたし、できませんでした。

それから数年が経過し、父親の部屋を片付ける始めても、両親は義理の妹の時にどれだけ大変だったのかを将来の我が身として思うことはできませんでした。

以前、母親から祖父母のどちらかの介護をしたことがあると聞いていたのですが、長い介護生活の中で、一回や数回のオムツ交換を手伝ったというような話だったのかもしれません。

介護はこちらが疲れて動けない時にも起こり得るもので、できる時にするのは気分的にも負担は少ないものです。

父親の部屋を片付けている時に、なぜ今になってこみちが片付けるしかなかったのか、父親も母親もそれをされて何も感じないのかと考えると涙が出てしまいます。

他人に助けられることは、こみちだってあります。

でも、助けられることに感謝しなくなったら、どうでしょうか。

何より、片付けている最中に、外出していた母親が自分たちの昼食分を買い物して来たようで、こみちが汗だくで作業していても、キッチンではテレビの音と両親の会話が聞こえて来ました。

「そんなに余裕なら、自分たちでやってくれない?」

そう言ったとしてもできないから「介護」なのです。

食事を済ませて、父親はまたテレビの前に座り込み、母親は「仕事」という理由で出かけて行きました。

それでどれだけ「仕事」になっているの?という話は、もう意味がなくて、ある意味で何か歯車がズレてしまうと、もうこみち家は終わります。

明日は介護認定が行われます。

まだ正式に父親へは伝えていません。

入院中の担当医の話では要介護1、2くらいという話でした。

仮に、父親が週に数回、デイサービスを使うことになっても、今の問題が解決することはありません。

父親はもう何もできないでしょうし、母親も自分で考えて行動することは難しいからです。

二人にお願いしていたいろんなことが、結局は何も解決しないまま、こみちに降りかかって来ます。

少しでも健康的な暮らして欲しいから、簡単でも仕事を続けて欲しいと言ったアドバイスも今にしてみれば懐かしい話です。

「ずっと頑張って来たの!」

ある時、母親が自分のことをそう評価したことがありました。

でも「頑張って来た」という過去は過去で、これからが一番大切です。

だから「もう頑張らなくていい」というほどは頑張ってなかったのだから、これからも頑張るしかないのです。

両親の世代は、厚生年金もしっかり貰える世代だったのだから、「頑張った」と言いたいなら、しっかりと勤め上げるか、事業で成功し資産を蓄えるしかなかっのです。

1日に何時間働いたとか、営業成績が良かったと言っても、そんな時期は誰にだってあるもので、輝かしい時代だけを振り返ってもあまり意味がありません。

というか、もうそんな話をする状況ではなくなっていますから。