いつもの朝

 今朝も4時に起きて

毎朝、早めに起きてランニングすることが日課です。

走る距離は以前よりも短くなって、多くは5キロくらいの距離を気ままに走ってひと汗流します。

シャワーを浴びてから家族分の朝食を作るのも日課。

今朝はすき焼き風の豚肉炒めをメインに卵焼きとサラダです。

キッチン

朝、キッチンに降りて来ると、食器洗浄機の中は食器でいっぱいです。

父親と母親の水筒があり、昨日の食器が残ったまま。

少し性格が問われますが、わざと残して「乱雑になったまま」にしたこともありますが、両親にとっては「乱雑」ではないので、片付けなければとは思っていないのです。

何なら、まだスペースが残っていると思うようです。

今朝、ダイニングテーブルの真ん中に菓子パンが2つ置いてあって、ご丁寧に虫除けの大きなネットを被せてありました。

母親の気づかいですが、こみちが最初にするのはそのネットを外して片付けるところからです。

「こうしたい!」という気持ちが母親には強くあって、それを押し通すことでどれだけ面倒になるのかまで考えません。

「できなければできない」というスタンスなのですが、今回の入院でも両親だけではいろいろとできなかったこともたくさんあります。

その一つが保険の支払い申請書ですが、どんな種類の保険に加入し、どんな条件で保険金が支払われるのかさえ把握できていなかったので、父親が入院したのがキッカケになり妻と契約書類を読み返し、ネットでも情報を集めて申請書を作りました。

この作業も最後までしたのは妻で、こみちがどうなったのかと問うと上手くできたと聞き、安心しました。

「お母さんは? お父さんは?」

分からないから完全にノータッチ。

それでは「介護」です。

介護というと、オムツのようなものを想像しますが、生活面でできないことが起こり、本人たちでは解決できずに誰かの手を借りるしかなくなったら、それはもう「介護」の始まりです。

例えば、母親の身支度が終わるのは、朝食を食べて洗面所を使い出して午前10時から10時半です。

そこから自身の仕事や習い事をして昼過ぎに戻って、また出掛けます。

その間、今までは父親はテレビを観ていたのですが、結局は今後も変わらないでしょう。

ある意味で母親の買い物は、介護予防の面もあって、それこそ同じ野菜を三度も続けて買って来るということもしばしば起こります。

「片付けられない性格」の母親なので、どんな食材を買って調理したいのかまで考えることは難しく、結局は同じ食材をループするように買って来るしかできません。

ここも悩みなのですが、それこそこみちや妻が主体になってしまうと、両親の役割分担がほとんどなくなってしまいます。

二人の洗濯をしているだけになるからです。

しかも薄々気づいているのですが、洗濯物を畳んではいないようで、乾かすためにハンガーに干して、使う時にそこから取っているようなところがあります。

でもそこまで介入してしまうと、本当に大変になるので、今はこみちも気づかない顔をしています。