親との同居で気をつけてこと
介護業界でも謳われる「自立支援」の精神だけど、「今を生きる」だけではなく「未来も生きる」のであれば、少し考え方を変えなければいけない。
例えば、介護施設の提供するサービスは、「今を支える介護」と言えるだろう。
特に在宅復帰が困難と判断される要介護3以上になると、在宅復帰しても家族が全面的にサポートできない事情も多い。
ここでいう「未来を生きる」とは、いわゆる現役世代や子どもたちが生きている状況と同じで、今停滞している課題を克服したり、改善するために試行錯誤したりが含まれる。
大きな違いは、「自主的な行動」にある。
父親が入院し、毎晩のように母親へ電話してくるのは、父親が「今を生きている」からだろう。
電話が掛かってくるという受け手側のストレス、時間の消費などを少しでも考えると何度も躊躇って、どうしてもという時に電話するのが社会人だからだ。
もちろん程度問題で、何度もオープンにするという関係性も否定しない。
ただ、こみち家の場合、ほとんど家事分担を外した母親が、負担を軽くされているという事実に気づいていないか、当たり前だと思ってしまう状況がある。
思いつきで行動し、時に妻にまで些細な用事を告げて、一人の行動が家族全体の負担になってしまう。
問題は、負担が増しているということを母親がもう理解できなくなっていることだ。
少しストレスの掛かる状況になると、「もうダメ」と大きなため息を繰り返し、何もかもできなくなってしまう。
これで事故やケガなって欲しくないから、父親入院して以降、母親の家事分担がなくなった。
とは言え、こみちにすれば、一階の廊下を掃除機を掛けるくらいできそうだと思っていた。
しかし、母親は父親が入院して約1週間が経過するけれど、掃除という掃除をしたことがない。
唯一しているのが、自分の部屋の掃除機で、ゴミパックが溜まっても替えることもしてはくれないし、使ったら使いぱなしになってしまう。
あまりに何もしないので、こみちが妻に「どうなんだ?」と母親の様子を聞いてみると、「少しボケているのかもしれない」と言っていた。
加齢により、段々とタイミングを合わせるのが難しくなる。
単体で行動ことはできても、相互に近い場所で行うような場合に上手くいかなくなる。
例えば、母親が朝起きてくると、洗面所を長いと3時間くらい占領することがある。
洗濯機が終わり、ラジオを聴きながら干すので、それだけで1時間掛かることも少なくない。
その後、化粧など身支度が始まり、それだけに専念するのではなく、フラフラとあちこちに手を出して、やりっぱなしなものが増えてしまう。
キッチンにコップが1つだけ放置され、中をみるとまだ入っている。
捨てるにも確認しなければいけないような中途半端さなので、そんなことがいくつも重なるとこみちの方が疲れてしまう。
これで父親まで戻って来たら…。
そんな両親を全面に支えるのは困難だ。
自立支援と言っても、そこには限界がある。
特に家族全員に影響するようなことが、両親にはお願いできないというのは、かなり家族の関係性を大きく変えてしまう。
なぜなら、両親共に介護される人になってしまうからだ。
積極的なお願いだけでなく、これはしないでねという禁止でさえ守れないから、勝手に判断し突っ走ってやりっぱなしになるということが増える。
こちら側の苦しい状況を理解できないし、勝手に気を利かせて余計なことをしてくれたりと、上手く意思の疎通ができていない。
考え過ぎると、またこみちは壊れてしまうから、考えないようにするしかない。
でも改善される可能性はほとんどなくて、悪化する状況がさらに続くだろう。