生焼けピーマンが食卓に出た話

 ピーマンの美味しさは苦味とエグ味?

料理が上手いか下手かは、音痴の話に似ているかもしれません。

音痴にもタイプがあるそうで、出すべき音程を聞き分けられないタイプとその音を出せないタイプです。

つまり、そもそもしなければいけないことを知らない人は、それをすることができません。

そして結果を知っていても、その方法を知らなければその結果に到達できないでしょう。

生焼けのピーマンと炒めたベーコンが和えられて食卓に出て来ました。

母親が作ってくれたものですが、しっかりと焼けたベーコンに対してピーマンは生焼けです。

思うにベーコンから先に焼き始め、後からピーマンを加えたことで、そんな仕上がりになってしまったのでしょう。

例えば、焼きむらができた時に、ベーコンを一度皿に取り分け、ピーマンを焼いても良かったでしょう。

レンチンしたり油多めで焼いたりすると苦味を抑えられると思うので、それらを使っても良かったはずです。

こみちはピーマンが嫌いではないので、生焼けでもエグ味さえ気にしなければ食べられます。

しかしピーマン嫌いな人なら、苦味もエグ味も苦手でしょう。

母親も父親もこれまで1ミリとして譲ってくれたことがありません。

最近で言えば、洗った食器を食器棚に戻すということをサボります。

さらに言えば、戻したことを褒めて欲しいと思うタイプで、こみちとしては家族としての決め事を守ってくれないことがストレスです。

なので、生焼けピーマンのことを話しても、母親は単に責められている思うばかりで、解決策や自分なりの振り返りができません。

別の食材に代わっても、やはり同じような調理をします。

たまたま上手く言って美味しくできることもありますが、パサパサになった肉や魚が食卓に出て来ることも多いのです。

失敗が悪いのではなく、失敗理由を振り返ったり、アドバイスを受けたり、前に進む努力をして欲しいのです。

それは父親も同じで、少し煽てると上機嫌になるのですが、指摘されると拗ねてしまいます。

誰かがコントロールしていないと何も進まないので、自分で状況を踏まえて動くことができません。

何より、今のままで上手い行っていると思えることがそもそも意味不明で、何をどう考えているのかと思ってしまいます。

母親が洗面所のゴミ箱に使うピンク色のビニール袋が白い代わったことを聞いて来ました。

店にいつもの商品がなかったからで、それを説明したら「次回はピンク色がいいな」なら分かりますが、「何で白なの?」という反応は商品がなかったという説明の後ではちょっと理解に苦しみます。

ビニール袋の色にそこまでこだわるなら、調理方法を見直すことも同じようにしてくれたらと思うのです。

自分が知っていることには強くこだわり、誰かに言われてもその意図を感じることができません。

なので、今は好きにしてもらうしかなくて、できていないことを我慢するか、我慢できなければこちらで別の方法に切り替えるしかありません。

生焼けでも食べられるという発想で食事することが切なくなるこみちの気持ちを、上手く両親に伝えられないのはもっと切ないです。