「ちょっとだけ」自分の利益と他人の損失で悩む時の話

 レンチンをあと2分で終わる!?

仕事場での昼食。

午後からの仕事が60分後に始まることになったランチタイム。

冷めた弁当を温めたくて、レンジを使うことはある。

「温め完了まで2分」

貴方ならその2分どうするだろうか。

温かい弁当を食べるという利益を得たくて、レンチンするのは理解できる。

そして、その2分間で、飲み物も用意したくて、冷蔵庫から取り出すのも分かる。

たとえそのタイミングが少しズレて、冷蔵庫の中を探している間に完了のお知らせアラームが鳴って、一瞬遅れたからと言って怒るようなことではないだろう。

問題は、レンチン途中でその場を離れてしまう時だ。

何人も一緒に食べる休憩所では、列に並ぶことはなくても、温めたい人は様子を見て待っている。

ところが、レンチンした本人がその場を離れてしまうと、少なからずタイミングを待っていた人の気持ちは心配や苛立ちに変わる。

2分15秒で戻って来た時に、「ちょっとでしょ?」と言い訳する人。

15秒という遅れを「ちょっと」と表現するが、実はこの「15秒」が問題なのではない。

問題は、「どうしたんだろう?」と2分間気に掛けていた気持ちの揺れた部分だ。

同じようなケースはいろんな時にあって、例えば買い物でレジでの支払いを終えたあと、財布にお釣りを戻す間、荷物をそのまま放置する人だ。

5秒、10秒を指摘しているのではなく、さっさとしまってくれるなら問題にもしない。

でもあからさまに時間が掛かって、後ろの待っているたちを待たせている感じになるなら、先ずは「その場から離れる」という選択肢も選べただろう。

苦手で時間が掛かってしまう。

こみちにもよくあることで、時にそのことで「すいません」と何回頭を下げて来たことか。

だから偉いとか、そんなことを話したいのではなくて、「ちょっとだけ」と私欲を優先させた時に、その一方で待たされることになった他人がどれだけいるのかも気に掛けて欲しい。

冒頭のレンチンに話を戻せば、休憩が60分あったとしても、レンチンしたいと思うのは前半の10分後に集中し、それを過ぎると温めたいと思いながら食べ始める人だって出て来る。

でもそこで、自分も私欲を優先させてしまうと、なんだか染まってしまったような気がする。

配慮する気持ちとか譲る優しさとか、それこそ利益というような感覚では伝わらない文化が日本らしさとしてあったと思うからだ。

みなさんはどう思うだろうか。