忙しくても稼げない人と楽なのに稼げてしまう人
今日、割と真剣に仕事をしました。
それも休憩無しで5時間ぶっ通し。
でも稼げた金額は、アルバイトの最低時給。
いわゆる軽作業に分類される仕事です。
例えば、そんなこみちたちを管理する人は、何をしていたでしょうか。
あくせくと慌ただしく働いていたわけではありません。
でも、こみちよりも単価は高く設定されています。
個人の潜在能力が報酬の単価に反映されるのではなく、需要と供給の関係で納得した人は仕事をもらい、納得しなければ仕事にはありつけません。
「自分の価値はこんなに低くない!」と思って、納得できる仕事が巡って来るまで待ち続けるのも人生の選択です。
また、価値など気にしないで、できそうな仕事があるとすぐに始めてみるという方法もあります。
どちらがいいのかではなく、生き方の違い。
中高年になって即戦力を期待される転職であるなら、楽して稼ごうと考えたらすぐに行き詰まります。
少なくとも働きぶりが社内的に定着するまでは頑張るしかないでしょう。
しかも、平社員という位置付けなら、やっぱり役職がもらえるくらいまでは「休み」よりも「仕事」や「成果」を気にするべき。
なぜなら、そうしないと「楽して稼げる」ポジションが巡って来ることはないからです。
今日、慌ただしく働いている時に、目の前で楽そうに働いている管理者を見て、正直、楽そうでいいなぁと思ってしまいました。
でも、その管理者になるには、正社員という採用に合格しなければいけませんし、どんなに楽をしているように見えても、現場の経験や知識を持っています。
つまり、そこまで頑張った結果、楽して働けるポジションを勝ち取ったのです。
忙しくても気ままに働けるという状況を自分らしいと思って幸せに感じることができます。
でも、稼げないことで不幸だと思う人もいるでしょう。
つまり、幸せ不幸せは、今の状況をどう感じるのかということ。
幸せにもなれますし、不幸せにもなれます。
でも心地良い環境は、自分だけが心地良いと思うだけでは作れません。
特に職場環境では。
転職してまた一番下から始めるのも大変ですが、先にない職場で我慢するのも考えものです。
なぜなら、頑張って意味があることならいいですが、多くの仕事というのは頑張るポジションの人と楽なポジションの人がいて、しかも稼ぐという意味では忙しさはあまり関係ありません。
だからこそ、専門性を作るということが重要で、中高年ならなおさら経験値を活かして仕事を見つけるべきです。
また、最前線で頑張るポジションよりも、流れから少し外れたポジションの方が自由ですし、負担もありません。
出世という意味では期待できないかもしれませんが、就職した会社の役員を目指している人は別ですが、程よく働いて稼ぐのであれば、報酬もしっかりと受けられて、あまり忙しくない職場に回してもらえたら楽でしょう。
つまり、今回の管理者は、こみちたちの面倒を見るのはそれなりに大変ですが、何もしないでも管理という仕事をしているので、楽に稼げます。