「雨」が嫌いと言う話

 メンタルの根本的な回復はできていない!?

メンタルを壊すと、我慢や苦痛が高まった時に、その状況を回避することができなくなってしまう。

克服するということが最善策だとすれば、拒否や無視などの改善ではない手段でさえ難しくなる。

特に雨の日は辛い。

ふと闇に襲われるし、変わらない日常生活や現実ばかりを見てしまう。

夕飯を食べるために一階に降りて来た時、妻が無言で放置された食器たちを洗い出した。

それらの食器とは、先に食事を済ませた両親のものや、夕飯作りで使った鍋やフライパンを指す。

「あとで一緒に洗うよ」

こみちにできるのは、洗うという選択のみ。

無視や放置もできなくて、時にため息を何度もついてでもそれを続けるしかできない。

そもそもは、両親の食器は彼らが自分たちで洗っていた。

多分、家事をしない父親に、母親が食器くらい洗えといい、それに従って父親も洗っていたのだろう。

茶碗2つと箸、あとはコップ。

でもある時から洗わないでそのままにすることが増えて、いつの間にか洗うのもこみちの仕事になっていた。

「オレは湯を沸かしているんだから!」

やかんに水を入れて、湯を沸かすことで、父親はありとあらゆる義務を賄えていると思っている。

片手間でできることも、それを1つのし、さらにはもっと価値あるものとして疑わない父親と暮らすと、まともな精神では耐えられないだろう。

少なくとも、頑張っても頑張っても、それが当たり前で少しも前に進まないことに、こみちは疲れていた。

朝、早く起きて家族の食事を作る。

作ってもらうことが当たり前になっている両親は、それを昼食のおかずに回す。

じゃあ朝はどうしているのか。

漬物や母親が即席で何か作っている。

こみちの手料理が嫌なら作らないし、母親が作りたいなら譲りたいのに、「作る」という手間は残して、無駄にいろんなことをするのが両親のスタイルだ。

昔、こみちの作った朝食に、母親が何か作って乗せたことがある。

「これ何?」

「ちょっと作ってみた!」

「じゃなくて、それをしたいなら1から全部作ってくれない? 作りたくてしているんじゃないし、お父さんたちが作れないから代わって作っているんだから」と。

夜間、何度もトイレに起きてよく眠れないという父親。

毎晩、11時くらいに床に入り、起きてくるのは7時半と決まっている。

こみちの場合、もう少し早くて10時くらい。でも目が覚めるのは夜中の2時過ぎで、タイミングによっては3時くらいなら起きてしまうことも多い。

今日も起きたのは2時でキッチンに来たのは3時過ぎだった。

老いてくるとしっかり睡眠で体力を回復できなくなる。

つまり、入出力の幅が狭くなって、1日でできることが減ってしまう。

だから計画的に少しずつ進めて行かないと、準備と後片付けばかりを繰り返し、するべきことが全く進まないという状況になる。

それが両親の生き方だ。

彼らは怠け者ではなく、生活スタイルの変化についていけないだけだ。

お見せすることはできないが、リビングの荷物はもう耐えられないくらい多い。

日中ごろ寝する時に使う小さな布団も、最初は自分の部屋からその都度運んでいた。

それが面倒になって一角を置き場にするという感じで、使ったものをリビングに集めてしまう。

父親が使う部屋に入ることはしないけれど、いつか見えた時に荷物で溢れていた。

母親の部屋もドアを閉めていて、中を見ることはできない。

掃除機を掛けているシーンをほとんど見掛けないから、想像通りの感じなのだろう。

別に綺麗じゃないことを非難しているのではない。

窮屈になるほど、無理する必要はないと思う。

でも、両親に関して言えば、面倒なことを全て放置し、最後のけつ拭きをこみちに押し付ける気満々だから厄介だ。

ダイニングテーブルの上に、ポツンと放置された飲みかけのペットボトル。

「ペットボトル、どうにかして!」と母親に言えば、きっと「今日、使うから」と言うだろう。

使うのは勝手で、放置しないで欲しいのだけれど、母親は自分の部屋に置けないからなのか、片付けているダイニングテーブルのちょっと端に物を置く習慣がある。

階段に脱いだ衣類。ピアノの上に新聞紙。

言い出せばキリがないくらい、空間という空間に物を置く。

玄関に野菜を置くことも一時期やめていたが、今は少しずつ置き始め、箱買いした2リットルのペットボトルが横に置かれて、その上にまた野菜。

以前は自分の靴を置いていて、さすがにやめてと伝えた。

離婚理由に性格の不一致があるけれど、こみちには両親との暮らしが合っていない。

何より一緒に暮らして楽しくない。

いいことがあって、笑いたい時でさえ、笑えなくなっている。

ふと目の前にある父親の席の椅子が、所定の場所から少しずれて、脇にはみ出したままになっていることに気づいた。

「これくらい、また明日使うんだから」

そんな気分なのだろう。

もしくは気づいたら直して欲しいとでも思っているのかもしれない。

確かに以前はこっそりと直したこともあった。

でも直しても、それで他のことがよくなることはなく、頑張って現状維持しているに過ぎない。

放置するとリビングの荒れ放題が、玄関や廊下などでも起こる。

なぜ両親が自分たちの家を片付けないのか。

もう見るのも嫌になっているのだろう。

晴れた日と違い、雨の日はどうしても気持ちが内向けになる。

自分の気持ちと向き合うことが増えて、余計に落ち込んでしまう。

一歩進んだと思っても、すぐにまた一歩下がっていて、時にさらに数歩下がることも多い。

なかなか前に進むことができない。