「老いた」を感じるのは自分よりも他人!?
親との同居をして、また介護施設でスタッフとして働いて、人は老いるとどうなるのかをたくさん見て来た。
生活や外見にも、老いたと感じる特徴がいくつかあるけれど、自分の老いは本人よりも周りの人の方がより強く感じるだろう。
例えば、70代や80代になっても、今までしていたことであれば、50代くらいと比べても見劣りすることは少ない。
つまり、高齢になった時に、それまでどれだけいろんなことをして来たのかで、人は老後生活でできないとか、時間が掛かるという「老いた」を感じる機会も変わる。
両親と同居をして、何を言っても覚えてくれないし、1ミリとして譲ってくれたりはしない。
「〇〇は〇〇!」と思い込んだことは、それ以外の方法がいくつあっても、それを変えることはもうできない。
ゴマドレッシングなら使うのに、冷やし中華はゴマだれを買って来たことがない。
いつも醤油系だ。
「こだわりなの? 今度、ゴマだれにしない!?」
そんな話をもうずっと繰り返しているけれど、「あら、そうだったの?」と毎回、同じリアクションをする。
つまり、そして忘れてしまう。
毎晩、「湯を沸かすために生まれて来たのか?」と父親に聞きいてみたくなるが、ポットの汚れは一切、拭いたりしない。
「たまには拭いたら?」
すると、その辺にあるダスターを使い、拭き終わったら水洗いもいないでそのまま放置してしまう。
つまり、1つが綺麗になっても、別の物が汚れるだけで、結局は何もキレイにできない。
何かをすると、いつもの作業は誰かに回す。
そんな父親を見て、今までどうやって社会人として仕事をして来たのかと心配になってしまう。
以前から度々、同じ商品を何度も買ってしまう母親。
冷蔵庫に牛乳が3本あったり、しめじが4パックもあったり、マヨネーズやソースなども備蓄している量が半端ない。
無いと不安なのか、そんな習慣が、老いた今はちょっと変わった特徴になって来た。
まだ十分に残っていても、新しいものを使い出す。
面倒くさがりで、新しいものが好きな父親は、真っ先に新しいものに手を出す。
ご飯は炊き立てを食べるし、インスタントコーヒーの瓶はいつの間にか新しい方が減っている。
きっと準備するのは母親で、使うのは父親。
そして、母親は残りものを使うことで、尽くしている自分を感じる。
「これ、入れるでしょう!?」
洗い物をして途中で、惣菜が入っていトレーを見つけた母親が、大きな袋を提げて来る。
それまで母親は洗面所をずっと占領し、食後歯磨きを我慢している妻などは自室に戻って時間調整している。
にも関わらず、母親は呑気に「入れるでしょう?」と声を掛けて来た。
例えば、すでにしなければいけないことが終わっているなら分かる。
また、「入れちゃうね!」で袋に入れてくれたら分かる。
でも母親は袋を広げて、こみちが濡れた手を拭き、洗ったトレーを入れるのを待っている。
数回のトレーを入れるだけなのに。
一人では何もできない甘えん坊な父親にとって、いつもイチャイチャしたい母親との相性は最高に良かったのだろう。
でも、泡のついた両手という理由で、母親に水道の蛇口を開けさせる父親を見て、ちょっと不思議にも思えて来る。
母親のことが好きで仕方ないのは良いとしても、生活していてあまりに不便ではないかと。
空き瓶を貯める入れ物が庭先にある。
でも毎回持って行くのが面倒で、キッチンの壁際に空き瓶を並べる習慣が生まれた。
養命酒に栄養剤。
その多くは父親のものだ。
この前のリサイクル回収日に、その瓶は捨てられなかった。
以前はこみちたちが捨てる時に、ついでに持って行ったりもしていたが、父親のものばかりあることに気づいてからは少し放置するようになった。
リビングのテレビの横に、段ボールが積まれている。
中身はFAX用紙だ。
紙がなくなり、1パックだけでいいのに、父親は段ボールで数箱買って来た。
もう今はしていないが、父親に頼むと数個買って来てしまう。
すぐに無くなるからという理由と、店で1個しか買わないことが恥ずかしいみたいだ。
どこでカッコつけているのかと思うけど、それが世代間のギャップなのだろう。
父親に占領されたリビングは、父親専用の椅子があって、いつの間にか角の片されることもなく、ど真ん中に放置されるようになった。
父親しか使わないものばかりがそこら中に置いてあって、もうリビングでゆっくりとテレビを見ることもしなくなった。
窓枠のわずか10センチの出っ張りに、ウエットティッシュと懐中電灯、チャッカマンに謎の箱。
部屋が汚れているとは思っていないから、全く片付けない。
「やる時はやる!」と息巻いていた父親の掃除とは、別の部屋から別の部屋にものを移動させることだった。
周りで暮らす人からすれば、迷惑極まりない暮らしも、当人には全く分からない。
「老いるとできなくなることがある」ということも、していればできるのに、して来ないから面倒くさくなっただけだ。
いい気分で降りて来ても、両親としばらく一緒に居ると、段々と気持ちが落ち込んでしまう。
「老いたなぁ」としみじみ感じる。
何が怖いって、迷惑になっているということも感じていないから、家族の洗い物をしているこみちをチラ見して、湯を沸かしたいアピールをしてくる。
でも洗い物を頼んでも一回はできても、明日はできない。
そして、洗い物をすれば、しばらく他の頼みごともしようとはいない。
そもそも、父親が家事の何をしているのかも知らないけれど、今のなっては関わらないことでしか楽にはなれない。
老いてしまうのは誰も避けられないことだから、そうなる前に自身の生き方や身につけるべきことを準備しておきたい。
何もしない父親と何もさせなかった母親。
そんな二人が毎年のように老いている。
癖ばかり強くなって、支えたくても支える範囲があまりに広い。
開封済みのドレッシングが3本もあるって普通だろうか。
もっとシンプルに生きたい。
好きな一本を厳選して選んで、それを楽しむような暮らしがしたい。