「あれ? チョコビスケット食べた?」という話

 先日、妻と買い物に出掛けて

買い物に出かけた時に見つけた「北海道フェア」で、チョコビスケットを発見し購入しました。

その日、暑かったこともあって、家に持ち帰るまでに溶けてしまわないか気にもしていました。

「ビスケット食べてみようか?」という妻からの誘いもあって箱を開けてみると、個別包装されたビスケットが現れ、袋をあげると少し溶けたビスケットが顔を出します。

「コレ、美味しいね!」

近所のスーパーで買うお菓子も、本当に美味しいのですが、材料にこだわって作られたチョコビスケットは、いつものチョコとはちょっと違います。

「高級な味がする」

元々何枚入っていたのか、テレビ観て、ブラックコーヒーを飲み、特に意識もしないでそのビスケットをパクパクと食べていました。

「残りは冷蔵庫に入れておくね!」

こみちは仕事の片手間に食べていたので、「ああ、うん」と答えました。

妻は、美味しいものを見つけると、それを母親や父親にもお裾分けすることがあります。

だから聞きはしませんでしたが、きっとリビングにいる父親にでも「よかったらどうぞ!」と言うつもりだと思っていました。

数日経過したある日、「アレどうした?」と仕事から帰って来た妻に言われた時も、「アレ」が何か思いつきません。

「アレって?」と聞けば、チョコビスケットのことでした。

「ああ、あの時食べて、その後は食べていないよ!」と答えると、冷蔵庫にしまったのに無いと言うのです。

「「母親に良かったら…」とか勧めたんじゃないの?」

「言っていないよ!!」とすぐに返って来ます。

「でも、あの時から気にしていないからなぁ…」と言って、改めてこみちが冷蔵庫の中を調べました。

すると妻も降りて来て、「ねぇ、ないでしょう?」と。

そこに母親。

「ビスケット? あれ、美味しいね。食べちゃった!」と告白。

薄々は分かっていました。

こみちたちがハマっていたシャトレーゼのチョコバッキーの時は、「良かったら」と両親に勧めのですが、まさか全部食べてしまうとは思っていませんでしたし、コストコのイチゴのケーキの時も「大変だった」と母親がいい、やっぱりそのほとんどを食べていたからです。

「美味しいですよね!」

明るく話し掛ける妻のテンションにちょっと驚きつつ、自室に引き返しました。

「食べたかったんじゃないの?」

部屋に戻って妻に聞けば、「もの凄く」と答えます。

「「何で食べちゃったの?」とは言わないだ」

「言えないよ。冷蔵庫で見つけたら食べていいと思うでしょう!?」と。

そうか?と内心で思ってしまいました。

それこそ、近所のスーパーでも買えるお菓子なら分かります。

でも、パッと見ても普段は見かけない箱で、しかも3分の1くらい残っていたはず。

逆の立場なら、食べる前に「食べていい?」と聞くか、一枚だけにするか。

もっと言えば、「あのビスケット、食べたんだけど」と自分から言うでしょう。

そして「ああ、いいよ、いいよ」と言う流れに。

チョコバッキーの時もそうだったのですが、食べてしまったと言う気持ちもあって、母親もその後にアイスクリームを買って来ます。

しかし、父親が好きな抹茶味とか、あずきバーとか。

それはそれで美味しいとは思うのですが、こみちたちは食べません。

結局、両親だけで食べることになるのです。

チョコビスケットの場合も、「大袋で安かった」と言うノリで母親は買って来ます。

チョコレートって、ミルクチョコもあれば、少し甘さを控えたビターもあって、甘さの度合いもそうですが、ミルク感やカカオの強さも異なったりして、割と味に差があります。

だからこそ、あの時に見つけたチョコビスケットは食べて美味しいと思いました。

でも、そんなことを考えるのではなく、スーパーで買い物中に見つけたお菓子を「いつでも食べて!」と言う母親。

「ああ、ありがとう」とは言うものの、ほとんど食べることがないこみちたち。

もうそんなに沢山食べたいってことではないんですよね。

「美味しいなぁ」と思うものをゆっくりと食べて満足したいだけ。

でもそんな気持ちは伝わらず、とにかく安いものを沢山買って来る母親なので、結局は誰も食べないまま放置されてしまう。

「でも食べるかなぁ?」と言うこみちに、「もういいよ! 終わり!!」と制する妻。

息子として申し訳なく思ってしまう。

美味しそうだったから食べてしまうと言う行動をできるようになってしまった母親も、以前はそうではありませんでした。

でも、記憶力が低下して、「自分で買ったもの」と言う感覚になっているのでしょう。

だから、「あれ、買ったっけ?」と思いながらも、美味しそうと思って食べてしまう。

なるほど、難しい話だなぁって出来事でした。