ちょうど三日目で
本当に「三日坊主」という言葉が相応しいと思いました。
両親に晩御飯を食べたら、自分たちの食器を洗って食器棚にしまって欲しいと頼んでいたんです。
ダイニングテーブルのイスはキチンと戻していなかったり、コースターもテーブルに放置したままだったりと、朝食を作るために降りて来て、やっぱり生活が乱れているなぁと感じてしまいます。
でも、三日過ぎて出来ているのは、コースターを片すことだけ。
もう羞恥心の有無かもしれませんが、四角ハンガーにぶら下がった洗濯物がリビングに放置されるようになりました。
みなさんは、夜、キッチンの桶に水を溜めていますか。
真相は分かりませんが、夜中に水を溜めると害虫の繁殖に影響があるとかで、やめた方がいいと聞いたことがあって、こみちたち夫婦の間ではずっと溜めることをしませんでした。
気持ちの問題と言えばそれまでですが、同居を始めて以降、ずっと両親にも「夜間は水を溜めないでね!」と言い続けて来たのです。
ところが、夜に湯を沸かすことに生き甲斐を感じる父親は、残り湯を桶に溜めます。
200ccでも、500ccでも水をそのまま流すのはもったいないと思うから。
「もったいない」と思う気持ちって大切だと思います。
でも、家の中で害虫を見かけると、母親は「出た、出た!」と騒ぎ出し、自分では対処しません。
逆に父親は得意気に殺虫剤を持って追いかけるのですが、最低限とか後で拭くということもしないで、駆除だけを考えて液剤を噴射します。
例えば、食器のある所ではしないだろうと思っていても、それさえ怪しいから厄介なんです。
見ていないと思ってなのか、全く気にもしていないのか分かりませんが、使った台拭きを洗いもしないでまた元に戻すということが出来てしまいます。
それらの行動を知っているからこそ、「桶には水を溜めない」を守って欲しくなるのです。
でも、「湯を沸かす」という使命感だけが残り、さらに勿体無いから「桶に水を溜める」。
そして害虫を見たらどこでも気にしないで殺虫剤を噴射するという流れは、いつの間にか元通りになっています。
どこにこだわっているの?
父親はとても神経質な一面があって、湯を沸かす時のヤカンにはいつもこだわります。
例えば、ヤカンの注ぎ口にホコリがついているのが気になるようで、水を汲む前に口だけは先に洗っているのです。
でも、肝心のポットの方は側面が汚れていても拭いたりしません。
注ぎ口に汚れが出来て、湯だけを注ぐとカスが出てしまうことも。
考え方、見え方、見方にもよるとは思うのですが、折角こだわりを持っているなら、いい方法に活かせばと思ってしまいます。
でもいつも限界が低い。
目の前ことしか見ていないように感じます。
ストレスが溜まって親に強い文句を言っても、しばらくはできるのですが、三日も経てば段々と緩くなって、その内元通り。
というか、実家の片付けってしているんでしょうか。
そう思ってしまうくらい、「今」を生きているようにしか見えません。
はっきりと諦めてしまえばこみち自身のストレスもたまらないと思うのですが、例えば「桶に水を溜めない」というルールくらいは覚えていて欲しいけれど、それさえ実行されなくて、互いに全く異なる生き方で共存しているだけになっています。