「親の介護」施設派?在宅派?という話

 親のために自分の将来を…

介護福祉士でもあるこみちが思う未来の自分とは、あえて年齢で区切ると60歳、70歳が人生のターニングポイント。

もっと健康に自信がある人は、65歳、75歳かもしれません。

いずれにしても、2回のタイミングがあって、それは向上心持って働ける現役時代とその後に迎える活動できる時代です。

つまり、60歳くらいまでは健康も担保されて定職を持ち、労働力によって対価を得る経済活動もできる時期。

もっと言えば、夢や自身未来像を描ける期間です。

一方のその後に迎えることになる70歳という年齢は、現役時代(60歳まで)とは異なり、常に体を労りながらも自身の健康を少しでも長く保てるように生きる時代。

もちろん仕事ができる人はフルタイムではないかもしてないけれど、仕事が続けられるなら続けられるまで頑張ればいいと思います。

しかし、現役時代はバリバリと活動的だった人でも、それからの10年はいろんな意味で見直しが必要になる時期でもあって、仕事を続けるということの他に、やはり「終活」についても考えなくてはいけません。

60歳を過ぎて70歳までの(65歳から75歳ということも)10年は、これまでの人生を振り返ると共に、まとめの時期でもあって、例えば住み慣れた家で暮らし続けるとするなら、この先段々と老いを感じ日常生活に支障が生じた時には誰にその後を頼むことになるのかまでよく考えておかなければいけません。

例えば持ち家だったとしても、固定資産税や電気ガスなどのメンテナンスなど、時に大きな出費が必要で、自身で業者を依頼し、その窓口になることができるのかと考えた時に、やはり子どもなど信頼できる人が側にいてくれたらと思うでしょう。

しかし、子どもといっても、彼らもまた40代から50代くらいで、会社であれば定年まで10数年という頃で、自身の老後がより現実的に感じる年代です。

つまり、親の介護を担うことになって、その時期の10年を自身の老後よりも介護に費やしてしまうと、場合によっては現役時代をほとんど何も準備しないまま終えてしまうことにもなりかねません。

優しい心の持ち主なら、「親の介護は当たり前」と、自身の人生で最後の向上できる時期を介護中心に過ごしてしまう人もいるでしょう。

しかし、それは親にとっては嬉しくても、24時間、365日を奪うのではなく、この部分は親が頑張って、ここだけは支えて欲しいという話し合いが絶対に欠かせません。

その話し合いを意味あるものにするには、やはり親が60歳を迎えるまでに、先ずは自身の老後をぼんやりでも描いていなければ、70歳までに準備と思っても、実はそう思うようには身体も気力も続きません。

特に大きな荷物を処分したり、高い所や重い荷物を分類したり、終活に欠かせないこれまでの荷物をどう減らしていくのかという時に、もう手が出せなくなってしまいます。

例えばワンルームくらいに広さで、暮らしていたら、その荷物を特に分類することなく一括で業者に処分してもらうとしても、その費用は20万円とか30万円は用意しておきたいもの。

つまり、生活が大変で介護施設に入ることに決めたと言っても、今の生活に一度区切りをつけるのも無料ではできません。

別々に暮らしている子どもが、仕事の休みにわざわざ実家に戻り、親の荷物を一緒に整理するのは、思いの外、大変なことです。

子どものペースでするとしても容易ではないのに、ペースの違う親に確認しながら処分するのは大きなストレスを感じるでしょう。

だったら、同居しながらその準備を進めるにしても、年々老いていく親と残された課題が、子どもの立場としても自身の老後も気になったりして、やはりいくつもの焦りの原因ができてしまいます。

介護施設を選ぶとしても目安は都内で20万円以上

都内で暮らしている人が電車で1時間圏内の介護施設に入るとしても、直ぐに入所できるような施設を利用するなら月額20万円は必要です。

つまりその費用がねん出できないと、介護施設を選ぼうにも簡単ではなくなります。

60歳までどう働くのかという意味は、介護施設に入るにもそれだけの費用を蓄えているのかということです。

親がその年代をあまり深く考えずに終えて、70歳まで同じように生きてしまうと、年金額だけでは介護施設に入れないという事態も起こり得て、子どもの立場では自身の老後だけでなく、親の介護まで背負うことになるのです。

準備をしない親の場合、多くの面倒なことにも放置していることが考えられるので、介護での労力だけではなく、資金面でも補てんが求められるでしょう。

その意味では親の介護を施設でと考えるのか在宅なのかという選択肢も、60歳までを親がどう生きて来たのかで決まります。