無い物ばかり気になってしまうという話

 イラストを描くこともジョギングをすることも

個人的に人生を少しでもどう楽しもうと考えた時に、今のこみちの日常生活にはイラストやジョギングが欠かせない。

でも、あるものは当たり前で、無い物ばかりが気になってしまう。

昨日、母親だと思うけれど、キッチンのシンクの中にある桶に大根を2本、水に浸して放置していた。

そうすることで、料理に使えるということだとしても、日中、父親やこみちがキッチンを使うこともある。

後先を考えないというか、自分の行動が共有スペースでした時にそのまま放置するとどれだけ迷惑になるのか全く考えていないようだ。

ダイニングテーブルに放置したままの個人専用のコースターもそう。

朝、起きて来ると、両親は決まって適当に放置している。

以前はそれを片付けてから朝食を作っていた。

でも最近は何もしない。

でもそんなだらしない生活というか、フワフワとした生き方に張りを感じなくて、不安の方が大きくなる。

それこそ「朝食も適当でいいか!」という感じだ。

市販のゴミまで取れるというモップで廊下や階段を掃除した母親が、「掃除したから!」と得意げに家族に告げている。

家の共有スペースの掃除は2日に一回。

こみちの担当で、基本は掃除機を使う。

小さなゴミなどは取り除けるけれど、「隅々まで掃除されて気持ちいい!」と感じのは、掃除機だけでは難しい。

人が行き来している場所は、それなりに汚れも目立たなくて、キレイと感じるられるか否かは四隅などの端で分かる。

ささっと表面を撫でて終わった掃除は、ゴミを取り除くもの。

生活していて清々しさを感じのは、そこからもう一歩、精度を上げた時だけだ。

一時期治った玄関に段ボールを置いて、野菜を置く癖。

以前は3箱もあって、流石に方法を考えようと撤去した。

2週間目には小さな袋が。その内、厚みの薄い段ボール。

「これくらいなら良いだろう」という気持ちが拭えなくて、全てが自分本位になっている。

オムツ交換のような介護もあるけれど、価値観の合わない両親との同居は、気にしたらキリがないくらい「何で?」ということがある。

片付けるとか、放置するとか、目の前のことをどう対処するのかを超えて、気持ちが落ち込んでしまう。

昨日は些細な話から、父親とぶつかった。

その時に妻が間に入ってくれて、こみちもそれっきり何も言わなかった。

「味噌汁あるよ!」

本当に些細なことだ。

でも、晩御飯を食べるために降りて来たのは、午後8時半。

理由はいつも7時頃に食べている両親が、時間も気にしないで予定を遅らせたからだ。

8時をすぎてもまだ片付いていない。

食事後にしていることを先に済ませたりして時間をやりくりしていた。

やっとという気持ちで降りて行き、「味噌汁あるよ」と呑気に言う父親に悲しくなった。

お椀があって、コンロには鍋もある。

味噌汁ではないとしても、何か汁物があるくらい分かることだ。

しかも、洗ったタッパーをゴミ箱の角にぶつけて、水気を飛ばそうとバンバンぶつけている。

ゴミ箱というのも気になるし、飛んだ水滴を拭き取る訳でもない。

「あと処理しないなら、そうやるのやめて!」と頼んだこともある。

結果的には、父親はそれ以外ならしないというスタンス。

だからこみちはしなくていいと思っている。

でも母親は父親にも何かできることをと考えて、意味があるのかないのかわからないことを父親に頼む。

そして父親も中途半端。母親もフォローしない。

全く潔癖ではないズボラなこみちが「ん?」と感じるレベルだから、本当にずさんだ。

以前は、キッチンに母親の水筒がポンと置いてあったりした。

「部屋に持って行こうと思ったのかな?」ではない。

「明日また使うから」という発想で放置する。

とにかく出してもいいけど、終わったら片付けて欲しい。

最後には「仕事で忙しいから」と言い訳する。

結局、家で仕事をしていても、家にいたら家事ができるということなのか、母親は自分が仕事で出掛けるから後は家にいる人でどうにかしてという雰囲気を作る。

父親はテレビを一日中観ているだけ。

思いついて家事に加われば、ゴミ箱にぶつけて水気を飛ばす。

言っても全く改善されないし、後ろをついてまわって直していたらキリがない。

いやでも納得していなくても、見て見ないふりをするしかできなくなる。

「感じない自分になる」

それが苦しい。

今、ふと見に止まった。

ゴミ箱の脇に野菜の切れっぱなしが落ちている。

昨晩、料理をした母親のミスだと思う。

でも家族の誰かもそのゴミに気づいていない訳ではなかっただろう。

でも、誰もそれをゴミ箱に捨てようとはしない。

「ゴミが入っていないよ!」

「だって忙しいから」

「ごめん」とか「気をつける」ではなく、言い訳。

結局、こみちが外で働かない限り、両親は言い訳しかしない。

そしてこみちが外で働くようになっても「そこまで手が回らないよ」と両親は言い訳するだろう。