晩飯を食べ始めた時に
こみちたち夫婦が、ダイニングテーブルに座ったのは午後八時半だった。
今まで八時前後だったが、両親の食事時間が段々と遅くなって、三十分遅らせないとテーブルが空かなくなってしまったからだ。
日中、仕事で疲れた母親は、特に何かしてもパパッと片付けられない。
ため息が癖になっていて、少ししては別の所にふらふらして、また続けるという感じだ。
父親はすでに満腹で満足なのだろう。
一人テレビを陣取って、野生動物のドキュメンタリーを眺めている。
老いた大人の猿が、自分から群れを離れてしまうというシーンで、ふとこみちも父親はどんな心境でその場面を眺めているのかと考えいた。
「いただきます」
妻と一緒に食事を始める。
すぐにキッチンの前に母親が背を向けて立っていて、大きな物音を立てながら、浄水器のフィルターを交換し始めた。
カバーを外して、フィルターを付け替えて、またセットする。
手順はとても簡単だけど、カバーが硬いのか、母親の握力が乏しいのか、「おかしいなぁ」と言いながち苦戦していた。
しかも食事中にしては結構な騒音で、「なぜに今のタイミングなの?」とも思う。
さらには父親も気にするくらいの気持ちになれないのかと。
食事をしている二人は会話もなくて、目の前のおかずをただ口に運んでいるという感じになっていた。
母親の痩せた背中
ぼんやりと視界に入ったことで、改めて母親の背中に視線が合った。
昨晩、母親が作ったすき焼き風の煮物は、彼女の得意料理でもあるが、相変わらず肉が煮詰まって硬い。
安い特売の肉でも、和牛の肉でも、完成する随分前に投入し、内部まで火が通って肉質が硬くなる頃まで調理するから、母親の作る料理は肉以外の方が美味しい。
「肉って美味しくない」と母親はいう。
例えば妻も満足してくれるくらい絶妙なタイミングで火を通した肉でも、母親は自身の作る時と差が分かっていないようだ。
仮に噛んだ時に肉の柔らかさを感じたとしても、それは肉の種類によるもので、調理方法は関係ないと思っているのかも知れない。
煮込む他の食材と同じタイミングでは硬くなりすぎると母親に何度説明をして来ただろうか。
意地を張っているのか、忘れてしまうのか、違いを感じていないのか、理由は分からないが母親の作る料理は昔からあまり変わらない。
浄水器のフィルター交換も同じで、一瞬で終わるならまだしも、交換に手こずって大きな騒音になってしまうのはある意味で母親らしい行動だ。
思い立ったら、後先考えずに始めて、結果的に周りが迷惑しているという流れだ。
父親にすれば、「またやっている」という感覚なのかも知れない。
食事を終えて夫婦が部屋に戻った時に
妻が怒っていた。
「どうしたの?」
質問したこみちだが、妻はすぐにその理由を話そうとしなかった。
しばらくして、妻がその理由を話し始めた。
「母の日、お父さん、何かプレゼントしたのかなぁ?」と。
「どうだろうね? 聞いたりしていないけど」
今、時刻は午前四時半。
流石に家族は誰も起きていない。
しかし、少し耳を澄ますと、キッチンの奥の部屋で寝ている父親のいびきが聞こえる。
なんだかんだと言っても、三度の食事は誰かが用意してくれるから、父親は空腹になることもなく、毎日テレビを観て過ごすことができる。
妻が言いたかったのは、日ごろ世話を焼いてくれる母親にプレゼントもしていない父親の態度が気に入らなかったようだ。
「せめて花くらい買って来ても…」と。
欲しいものがあると、父親は周囲の人たちを待つこともなく、先に手を付ける癖がある。
新しいテレビを買ったら、その段ボールを開けて本体を出して弄ってみる。
それから「設置してくれ!」と頼むのだ。
そんな習性があってもいいけど、幾度も同じような場面を経験しているなら、経験済みのことは他人とのタイミングも考えて欲しい。
母親が変なタイミングでフィルター交換に苦戦しているなら、「代わろうか?」と言って済ませたりしたら、父親の評価も違うだろう。
俺には関係ない。
そっぽを向いて、自分のことしか考えていないように見えてしまうから、妻も同じ女性としてプレゼントくらいと思ったのだろう。
しかし母親もずっと変わることができないし、父親に自分の気持ちを話すこともしない。
ただ、母親の背中を見て、痩せたなと思った。
彼女の行動をどう評価するのかは別としても、やっぱり老いて来ているのは事実だ。
少しでも関わると遠慮なくプライベートまで踏み込んでくる性格にはうんざりするけど、それを理由にしていたら、母親の老後はこのままで終わりを迎えるだろう。
変えられなかった自分が悪いと言えばそれまでだし、誰かが手を差し伸べてあげたら、今とは違っていただろう。
しかし、父親も変わることができない人だ。
母親を助ければ、母親は父親にその全てを渡してしまう。
だから段々と母親に何かすると、父親ばかり得をしていて、ある意味でそれが母親の幸せになっている。
だから余計に、何かすることに躊躇う気持ちが増えてしまった。