「疲れたなぁ」と思ってしまった話

 ジョギングとお絵描きで

ジョギングの走法やテクニック、気まぐれなお絵描きが、こみちの不安さを紛らわせてくれる。

でも、「疲れたなぁ」と思う時があって、それは疲労感という意識レベルではなく、もっと深くて面倒な感覚だ。

昨日も少し書いたけれど、両親との同居は良いことばかりではない。

実は、あまりに考えてしまったら、夢にまで父親が出て来て、そこにいた父親は現実よりも数年先の姿に思えた。

日中もパジャマ姿で、少しだらしない着方で過ごす。

こみちとは見えない壁みたいなのがあって…。

急に話が変わるけれど、時間とタイミングの兼ね合いで、早朝に走ることがある。

昨日もそうだった。

そこで郵便受けに届いた朝刊を玄関まで運んで置いた。

ジョギングを終えて帰ると、その新聞がダイニングテーブルに置かれている。

それを見た時に、いつもの場所に置いてくれればと思ってしまった。

でもふと気づいたのは、両親にしても郵便受けからなら定位置に置いたけれど、玄関にあったことで何か使うためなのかもしれないと逆に気を回したのかもしれない。

そう考えると、「中途半端なところで」と思ってしまったこみちだけど、よくよく考えたらこみちこそ中途半端になっていた。

むしろ気を回すくらいなら、何もせず郵便受けに置いていて欲しいのかもしれない。

分かるだろうか、役に立つかなぁと思っても、変に手が出せなくくらい互いの意識が交わっていない。

そんな日常生活は、「疲れたなぁ」になってしまう。