父親は本当に認知機能が低下してしまったのだろうか?っと言う話

 何度も指摘されても…

「嗚呼、ミスった!」「ヤバいぞ!」という反応がありません。

状況証拠だけですが、トイレの便座カバーを汚してしまい、そのまま放置するのも気づいていないみたいです。

食器乾燥機に、スーパーで買った惣菜のトレーを洗ったとは言いながらも別の食器の上に重ねてしまい、汚れが別の食器に移ったとしても自分のミスだと理解できません。

置いた瞬間に自身のことではなくなり、あとで騒動になってもテレビを観ていられます。

「何でするの?」と聞いたこともあるし、汚れて別の食器まで洗い直しになると説明しても、数日後にはまた同じことの繰り返しです。

しかしながら、湯を沸かすことだけは固執していて、時に洗い物をしているこみちを押し退けるようにやかんに水をくみたがる時もあります。

急がなければいけない理由など全くないのに、その時に思い立つとどうにも行動を控えることができません。

まだ、老いを感じながらも、できることは自分でしたいという雰囲気ではなく、自分は老いてはいないという感覚で、他人から指摘されて怒り出す感じです。

母親が仕事で昼を過ぎて帰宅した時、「お疲れ様!」ではなく、「遅い!仕事なんか辞めてしまえ!」と怒鳴り出しました。

多分、父親の感覚としては、昼も食べずにずっと待っていたんだと言いたいのでしょう。

この件でも、母親が仕事をしているんだから、「お疲れ様」とか「大変だったね」だろうと言っても、父親は全く動じません。

というか、状況を根本的に理解できていないとも言えます。

つまり、自身の立場からしか考えられないので、誰かに助けられてもそれが有難いとも感じないようで、最近では「恥じらい」さえも薄れてしまいました。

「できない」と言い難くて、だからここまでやり遂げるという意識が希薄で、それこそ食べた食器を片付けないことにも抵抗がなくなったように思います。

「食べたら食器くらい…」と小言をいう家族も、だんだんと父親には面と向かって言わなくなり、それはまた声を荒げるからではなく、改善することから諦めてしまった感じです。

もっと仲良くしたいと思うのですが、どうにもこうにも父親の側にいるとストレスばかりが溜まります。

テレビの音量も大きいですし、「大きいよ」といえばテレビを消して拗ねて自室に篭ることもあります。

「なぜなのか?」を言葉で説明できないことで、感情を抑えられずに突飛な行動に走ります。

どうすることもできないし、でも勝手に任せることもできない。

好きにさせるしか方法はなくて、でもあれこれと問題が拡散してしまうことでも平気で一部分だけで済ませてしまう。

まだまだ続きそうな親の世話ですが、笑顔で接したくても、一瞬で曇ってしまうこみちがいます。